▽中日交流を推進
結婚後も中野さんはメディアへの露出を減らすことなく、好きな芸能活動と中日民間交流事業を続けてきた。
「90年代、中国はますます開放的になりました。テレビ番組では海外華僑や外国人に司会させる風潮があり、私も中央電視台からの依頼で大きなバラエティ番組の司会をしました」
「日中間のいろいろな分野での交流がどんどん増えてきて、たくさんの企業家が日本に視察に来たり、留学生が日本に留学に来たりしました。当時、たくさんの友人と知り合いましたが、ある人は中国に帰ったり、ある人は日本に残って事業をしたり、皆とても成功しています。一緒に中国のテレビ番組に出たこともありました」
中野さんは、中国に関するさまざまな情報を日本に伝えてきた。数十年来、日本国内で数百回もの講演依頼を受け、国際交流に従事する際の心得や中国での見聞、中国人の熱情や友情などについて語ってきた。
2003年、徐州での中野良子さん。(本人提供)
「中日民間友好の使者」と呼ばれていることに話が及ぶと中野さんは、自分ではそのように考えたことはない、中国訪問や中日交流活動のひとつひとつを学びのチャンスだと考えている、と謙虚に笑いながら話す。「中国を知るというだけでなく、自分の国である日本の過去、現在、未来についてもさらに理解し、考えるきっかけになっています」
「日中はともに残酷な戦争を経験し、心理的にもまだたくさんの後遺症が残っています。日中友好をよりいっそう深めるために、私にも何かできたらと願っています」
1995年、中野さんが資金援助し現地政府と共同で建設した中野良子希望小学校が、河北省秦皇島に完成した。