▽中国の発展と変化を目の当たりに
初めての訪中後、中野さんは平均して毎年2回、中国側からの招待または日本側からの委託を受けて訪中している。活動内容は、中日友好活動への参加から、各地でのファンとの交流会、戦争記念館への参観、戦争経験者の話を聞くことまでさまざまで、中国の公益活動への参加、中国のテレビ番組の司会、中日合作映画への出演などもあった。
当時の中野良子さん。(本人提供)
「最初の頃はトップの人たちが集まる日中友好活動ばかりでした。80年代になると、一般の中国の人たちと一緒に活動する機会も多くなって、北京や上海以外の都市や、遠くの辺境地にも行きました。中国の観衆の皆さんにお会いする時には、『君よ憤怒の河を渉れ』の音楽をちょっと歌ってみたり中国語で映画のセリフを言うといつも、すぐに会場の雰囲気がすごく盛り上がりました。『海よ、故郷』など中国の曲も覚えたのですが、一曲でも歌わないと、皆さん帰ってくれませんでした」
中野さんは今回、即興で「海よ、故郷」の一節を歌ってくれたが、その歌声は滑らかで美しく、情感に溢れていた。
インタビューを受ける中野良子さん。(新華社記者/馬曹冉)
「中国では街角の至る所に『改革開放』『自力更生』の標語が貼られていましたが、それも後になってどういう意味かを知りました。みなさん、国家建設や都市建設、自分の生活を確立するために努力していたんですね」