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中国人学者の釣魚島についての新著が日本側の謬論に力強く反ばく
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-11-28 11:40:30 | 新華網 | 編集: 谢艳

釣魚島(資料写真)

  新華網北京11月28日(記者/馮武勇)清華大学教授で日本問題専門家の劉江永氏による新著『釣魚島列島帰属考:事実と法理(釣魚島及びその付属島嶼の帰属に関する考証:事実と法理を巡って)』の新書発表会が最近北京で行われた。同著作は中国・明代以来640年以上の国内外の釣魚島関連の文献・資料に対する詳しい考証と分析を通じて、歴史的考証と国際法研究を組み合わせ、事実と法律法理という2つの方面から釣魚島及びその付属島嶼が中国固有の領土であることを力強く証明し、また日本政府が釣魚島問題で、是非を一緒くたにし、国際世論を騙したさまざまな謬(びゅう)論に関して雄弁に反ばくし、この間違った見解を正す役割を十分に達成した。

 

  日本側の主な謬論と本書が明らかにした真相の要約は次のとおり:

  【謬論一】日本・外務省は、「尖閣諸島」(即ち我が国の釣魚島及びその付属島嶼ーー釣魚島列島、以下同じ)は日本「固有の領土」で、「馬関条約」により割譲された台湾の一部ではないと称している。

  【真相】釣魚島は1895年の甲午戦争中、日本の明治政府に密かに盗み取られ、沖縄県に編入され、その後さらに『馬関条約』(日本側は『下関条約』と称す)の締結後、台湾と合わせて日本に50年間植民地として統治された。『ポツダム公告』と『カイロ宣言』に基づき、『馬関条約』の前に日本に盗み取られた中国の領土であっても、中国に返還しなければならない。沖縄県(1879年以前は琉球王国)でさえ日本の「固有の領土」ではなく、まして古来より中国固有の領土である釣魚島列島は、古代の琉球王国に属したことはなかった。

 

  【謬論二】日本・外務省は、日本は甲午戦争前後に「尖閣諸島」を清朝の領土に属する台湾及びその付属島嶼の一部としてとらえたことはなく、よって『馬関条約』の割譲対象となることはないと称している。

  【真相】日本・海軍省が1873年に編集・翻訳した『台湾水路誌』、1874年に出版した『南島水路誌』、1875年に作成した『清国沿海諸省』図、1890年に作成した『支那海水路誌』などは、甲午戦争の前まで、日本が釣魚島を中国台湾の東北方にある島嶼とみなしていたことを十分に証明している。特に『清国沿海諸省』図においては、日本がその後改ざんを行った「魚釣島」「久場島」「大正島」ではなく、台湾の付属島嶼として釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼などの島々がはっきりと表記されていた。当時、この地図は日本・外務省の査定・補充や確認も経ていた。

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中国人学者の釣魚島についての新著が日本側の謬論に力強く反ばく

新華網日本語 2016-11-28 11:40:30

釣魚島(資料写真)

  新華網北京11月28日(記者/馮武勇)清華大学教授で日本問題専門家の劉江永氏による新著『釣魚島列島帰属考:事実と法理(釣魚島及びその付属島嶼の帰属に関する考証:事実と法理を巡って)』の新書発表会が最近北京で行われた。同著作は中国・明代以来640年以上の国内外の釣魚島関連の文献・資料に対する詳しい考証と分析を通じて、歴史的考証と国際法研究を組み合わせ、事実と法律法理という2つの方面から釣魚島及びその付属島嶼が中国固有の領土であることを力強く証明し、また日本政府が釣魚島問題で、是非を一緒くたにし、国際世論を騙したさまざまな謬(びゅう)論に関して雄弁に反ばくし、この間違った見解を正す役割を十分に達成した。

 

  日本側の主な謬論と本書が明らかにした真相の要約は次のとおり:

  【謬論一】日本・外務省は、「尖閣諸島」(即ち我が国の釣魚島及びその付属島嶼ーー釣魚島列島、以下同じ)は日本「固有の領土」で、「馬関条約」により割譲された台湾の一部ではないと称している。

  【真相】釣魚島は1895年の甲午戦争中、日本の明治政府に密かに盗み取られ、沖縄県に編入され、その後さらに『馬関条約』(日本側は『下関条約』と称す)の締結後、台湾と合わせて日本に50年間植民地として統治された。『ポツダム公告』と『カイロ宣言』に基づき、『馬関条約』の前に日本に盗み取られた中国の領土であっても、中国に返還しなければならない。沖縄県(1879年以前は琉球王国)でさえ日本の「固有の領土」ではなく、まして古来より中国固有の領土である釣魚島列島は、古代の琉球王国に属したことはなかった。

 

  【謬論二】日本・外務省は、日本は甲午戦争前後に「尖閣諸島」を清朝の領土に属する台湾及びその付属島嶼の一部としてとらえたことはなく、よって『馬関条約』の割譲対象となることはないと称している。

  【真相】日本・海軍省が1873年に編集・翻訳した『台湾水路誌』、1874年に出版した『南島水路誌』、1875年に作成した『清国沿海諸省』図、1890年に作成した『支那海水路誌』などは、甲午戦争の前まで、日本が釣魚島を中国台湾の東北方にある島嶼とみなしていたことを十分に証明している。特に『清国沿海諸省』図においては、日本がその後改ざんを行った「魚釣島」「久場島」「大正島」ではなく、台湾の付属島嶼として釣魚嶼、黄尾嶼、赤尾嶼などの島々がはっきりと表記されていた。当時、この地図は日本・外務省の査定・補充や確認も経ていた。

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