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ラジオ体操と広場ダンス
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-07-06 08:19:04 | 新華網 | 編集: 王珊寧

 日本は1928年、日本放送協会(NHK)の協力のもと、ラジオ体操の放送を開始した。日曜日を除いた毎朝の7時に全国津々浦々に亘り、老若男女を問わず、数百万の人々が同じ号令の元に、同じように身体を動かす。やがて、全国共通の運動文化としてラジオ体操が定着した。

 1920年代、欧米諸国を模範とした近代工業生産や生活様式に拍車がかかった時流のなか、経済生産に適応する労働力を育成するため、学校教育をはじめ、日本社会のあらゆるところで時間厳守や時間の効率的利用という近代的時間意識を唱えた。ラジオ体操の実施もその教育の一環である。

 毎朝の7時という決められた時刻にラジオ体操を行うことは、人々に時間遵守の生活態度を身に付けさせる有効な仕掛けだといえる。また、ラジオ体操は、規律的かつ効率的な生活リズムの象徴として人々の生活に影響を与え、個々人のリズムを近代化に向かう社会全体の均一なリズムに組み込み、それに適応させるものであるともいえる。

 このような流れのなかで、近代化の道を歩んできた日本は、時間厳守や時間の効率的利用に強い忠誠心をもつ国というイメージを強く感じさせる。数年前日本にいたとき、世界一運行時刻が正確な電車に乗り遅れないために着替えも食事も急いで済ませ、できるかぎり効率を高めるように工夫を重ねていたKさんや、まっ黒になるほど予定が書き込まれている手帳を自慢げに見せてくれたMさんといった友人が印象的だった。時間をコントロールしたつもりだが、実は時間にコントロールされていたではないかと疑った。

 余談だが、中国も1951年にラジオ体操を始めた。その後、数年ごとにその内容を修正し、現在は第9バージョンに至っている。ラジオ体操の実施は主に人々の健康増進のためだったが、社会の時間意識を変えるような役割をどれくらい果たしたかは見当がつかない。

 それより、人々の生活や意識に大きな変化がもたらされたのは、1978年に改革開放が始まった後のことである。中国はグローバル化の一連の流れを受けながら、近代化・工業化・都市化を劇的なスピードで進めてきた。市場経済システムとグローバル化が中国の各分野に浸透してきたなかで、中国は世界のスタンダードにますます近付くようになった。

 

 一方、およそ10年前から広場ダンスというレジャーが中国に登場した。そのブームが中国全土に広がり、一つの社会現象にまでなり、今でも人気が続いている。ある調査によると、中国の都市部における広場ダンスの愛好者は、ここ数年で1億人を超えるという。

 同じように音楽に合わせて体を動かす運動であるが、広場ダンスとラジオ体操の間にいくつかの違いがある。広場ダンスは、朝夕の不定時刻に人々が自発的に近所の空き地やデパートの前に集まり、踊りに自信のあるリーダーの振り付けを見ながら、自分のパフォーマンスを楽しむことで、ダンスの参加者数、伴奏、踊り方のいずれも参加者の内部で自由に決められる。さらに、参加時間については、人々の都合の良い時間だけに自由に参加することが可能で、初めの10分でも、終わりの30分でも、全部でも構わないとのことで、遅刻という概念はないのである。

 個々人の時間リズムを社会全体に統一させるためのラジオ体操と違って、広場ダンスは社会主流のリズムとは別に、自分だけのリズムを作成しようとするものである。そこに時間による束縛から脱出し、豊かな自由時間を求めようとする中国人の欲求があらわれているといえよう。これは、かつての時間厳守や時間の効率的利用という意識に新たなものが生まれたと思われる。つまり、人々はただ機械的な時間に合わせるのではなく、主体的に時間の質を求めようとしているのだ。

 毎日をより豊かに過ごすためには、時間の最大限使用と時間の自由度はどちらも必要である。それぞれの限界に気付けば、新たな展開が生活に見えてくるだろう。

 

 (作者/王篠卉 職員)

 

(この文章に表明された観点は作者個人のもので、新華網の立場を代表しません。著作権は新華網に属します。)

 

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ラジオ体操と広場ダンス

新華網日本語 2016-07-06 08:19:04

 日本は1928年、日本放送協会(NHK)の協力のもと、ラジオ体操の放送を開始した。日曜日を除いた毎朝の7時に全国津々浦々に亘り、老若男女を問わず、数百万の人々が同じ号令の元に、同じように身体を動かす。やがて、全国共通の運動文化としてラジオ体操が定着した。

 1920年代、欧米諸国を模範とした近代工業生産や生活様式に拍車がかかった時流のなか、経済生産に適応する労働力を育成するため、学校教育をはじめ、日本社会のあらゆるところで時間厳守や時間の効率的利用という近代的時間意識を唱えた。ラジオ体操の実施もその教育の一環である。

 毎朝の7時という決められた時刻にラジオ体操を行うことは、人々に時間遵守の生活態度を身に付けさせる有効な仕掛けだといえる。また、ラジオ体操は、規律的かつ効率的な生活リズムの象徴として人々の生活に影響を与え、個々人のリズムを近代化に向かう社会全体の均一なリズムに組み込み、それに適応させるものであるともいえる。

 このような流れのなかで、近代化の道を歩んできた日本は、時間厳守や時間の効率的利用に強い忠誠心をもつ国というイメージを強く感じさせる。数年前日本にいたとき、世界一運行時刻が正確な電車に乗り遅れないために着替えも食事も急いで済ませ、できるかぎり効率を高めるように工夫を重ねていたKさんや、まっ黒になるほど予定が書き込まれている手帳を自慢げに見せてくれたMさんといった友人が印象的だった。時間をコントロールしたつもりだが、実は時間にコントロールされていたではないかと疑った。

 余談だが、中国も1951年にラジオ体操を始めた。その後、数年ごとにその内容を修正し、現在は第9バージョンに至っている。ラジオ体操の実施は主に人々の健康増進のためだったが、社会の時間意識を変えるような役割をどれくらい果たしたかは見当がつかない。

 それより、人々の生活や意識に大きな変化がもたらされたのは、1978年に改革開放が始まった後のことである。中国はグローバル化の一連の流れを受けながら、近代化・工業化・都市化を劇的なスピードで進めてきた。市場経済システムとグローバル化が中国の各分野に浸透してきたなかで、中国は世界のスタンダードにますます近付くようになった。

 

 一方、およそ10年前から広場ダンスというレジャーが中国に登場した。そのブームが中国全土に広がり、一つの社会現象にまでなり、今でも人気が続いている。ある調査によると、中国の都市部における広場ダンスの愛好者は、ここ数年で1億人を超えるという。

 同じように音楽に合わせて体を動かす運動であるが、広場ダンスとラジオ体操の間にいくつかの違いがある。広場ダンスは、朝夕の不定時刻に人々が自発的に近所の空き地やデパートの前に集まり、踊りに自信のあるリーダーの振り付けを見ながら、自分のパフォーマンスを楽しむことで、ダンスの参加者数、伴奏、踊り方のいずれも参加者の内部で自由に決められる。さらに、参加時間については、人々の都合の良い時間だけに自由に参加することが可能で、初めの10分でも、終わりの30分でも、全部でも構わないとのことで、遅刻という概念はないのである。

 個々人の時間リズムを社会全体に統一させるためのラジオ体操と違って、広場ダンスは社会主流のリズムとは別に、自分だけのリズムを作成しようとするものである。そこに時間による束縛から脱出し、豊かな自由時間を求めようとする中国人の欲求があらわれているといえよう。これは、かつての時間厳守や時間の効率的利用という意識に新たなものが生まれたと思われる。つまり、人々はただ機械的な時間に合わせるのではなく、主体的に時間の質を求めようとしているのだ。

 毎日をより豊かに過ごすためには、時間の最大限使用と時間の自由度はどちらも必要である。それぞれの限界に気付けば、新たな展開が生活に見えてくるだろう。

 

 (作者/王篠卉 職員)

 

(この文章に表明された観点は作者個人のもので、新華網の立場を代表しません。著作権は新華網に属します。)

 

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