「電車の中で中国語で喋ないで」、小学生の頃、母にこう言っていたのを思い出す。
私は日本で生まれ育った中国人だ。小学校に入学するまでは日本語はほとんど話せなかったが、小学校に入学すると友達が増え、自然と日本語を身につけていた。
ちょうど物心がついたその頃、私は普通の日本人らしく生活・勉強してゆき、違和感が感じられないよう一生懸命に頑張っていた。というのも、小さいながらに自分は他人とは違うということを認識しており、「もっと普通にならないといけない」という意識があったからでしょう。
日本語が下手なお母さんがいるのは普通でないし、近所のレストランに食べに行くときに中国語で話すのは普通でないし、授業参観にめったにこないのも普通でない。他の皆さんと違ったら、恥ずかしいし、馬鹿にされるかも知れない、友達もできなくなるかも知れない、嫌われるかも知れない。そういう恐怖心から自分が何者であるかを隠すのに必死だった。それが電車での発言に繋がった。電車でのような発言をするたびに母は「中国人であることに誇りも持ちなさい」と言った。自分でも分かっていた。自分自身を否定することが悲しいことだということを認識した。でも社会に馴染むには仕方がなかった。傷つくのが怖く、自分を守るためには中国人としてのアイデンティティーを隠すしかなかった。「ああ~、日本人に生まれていたらこんなに苦労することなかったのに」と何度も思った。
小学校を卒業後、私は地元の中学校ではなく、ある私立中学校に進学した。もう一度一からやり直したい。そういう思いから受験を決意した。今言えるのは、この学校に入学したおかげで自分の人生がガラリと変わったということだ。他人と違うことは魅力だと教えられた。「中国語も喋れるの?かっこいいね!」と先生や先輩にたくさん褒めてもらった。正直に言えば最初はとてもびっくりした。嬉しいという感情よりも「え、本当に私は私のままでいいの?」という感情の方が強かった。
それから私はようやく縛りから解き放された気がして、自分のため、みんなのため、学校のため、何事にも全力で頑張ろうと思うようになった。勉強、部活、委員会活動。今までは何かの代表になることや目立つことは極力避けていた。しかしこの学校ではチアリーディング部に所属し、クラスでは級長を務め、気づけば成績もクラスで2番前後だった。
私はいま振り返って思う。自分が誰であるかは選べないし、居場所が2つあってもいい。そして忘れてはいけないのが、感謝の気持ち。今の私がいるのは誰でもない、日本人の方々おかげであるということ。そしていつまでも中国人であることに誇りを持ちなさい、と教えてくれた両親のおかげであること。日本で生まれて本当に良かった、と今でははっきり言える。
「みんな違ってみんないい(金子みすゞ)」。私の大好きな言葉である。
小学校の頃、確かに普通の日本人と違うのが嫌だ。普通の日本人の生活に溶け込むため、自分自身の特徴や個性さえ捨てても構わないと愚かに思っていた。しかし、年につれて、自分が変わると同時に、私の周りも変わった。普通、集団主義を重視し、特別や個性を提唱しない日本人社会で、他人に迷惑をかけない前提に、少し個性を持つのがいいではないだろうか。我々一人ひとり違った人間がいるこそ、この豊富多彩な世界になるではないだろうか。
(作者/賈帆帆)
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