譚盾(写真はネットより)
私は1999年、東京で譚盾が企画した現代音楽祭で彼の作品を初めて聴いてとても感動した。そこで、友人の道教研究者で中国語に堪能な土屋昌明氏の協力を得て、譚盾にインタビューし、譚盾の音楽を聴けるだけ聴いて、譚盾に関する研究資料を読み、2002年第3期号の『中央音楽学院学報』に「譚盾と編鐘」と題し、西洋偏重の音楽界における譚盾の音楽の価値を論じた論文を掲載した。譚盾もとても喜んでくれた。その後も、東京は勿論、北京や上海の譚盾の音楽会に通い、譚盾の活動をずっと注目してきた。
今年も、8月に東京の現代音楽祭で譚盾が自作を指揮する。ところが、私は行けなくなってしまった。それは、高齢の両親の世話と家事に忙しく、音楽会に出掛ける時間的余裕を失ったからだ。
でも、音楽会でかしこまって聴く音楽ばかりが音楽ではないことは、まさに譚盾の音楽が訴えていることだ。譚盾の作品に常に刺激を受けてきた私は、今や、日々の生活の中で、譚盾がモチーフにするだろう様々な音を聴き、美を見出すことが出来る。
さらに、譚盾の研究のために中国語を学んだことで、私は沢山の中国人と出会うことが出来た。最初の中国語の師、陳静先生は、私の拙い中国語の論文を長時間かけて丁寧に添削してくれた。師の教室で会った張宏女史は譚盾の音楽会に一緒に出掛けてくれて、譚盾との交流を助けてくれる。陳先生の御主人は中国でも人気の水墨画家、朝鴻氏で、朝先生に水墨画を学んだおかげで、私は展覧会で受賞できた。先生の教室で会った周潔塵女史は、この応募を知らせてくれたし、中国人に日本語を教えるバイトを紹介してくれた。第二の中国語の師、翟宇華先生は、日本人男性との結婚式に私を招待してくれて、今も家族ぐるみで交流している……等々、信頼できる優れた能力を持つ素晴らしい中国人に、私は書き尽くせない恩恵を受けている。
譚盾の音楽会で感動したというたった一つの事が、私の人生に沢山の宝物を齎してくれた。これまで、私が好きに自由に出来たのは両親のおかげなので、今は、両親の世話に専心すべきだろう。もはや、音楽会にも行けず、中国人達とお茶を飲む時間もない。しかし、譚盾と私の“知音”関係は永遠に変わらないし、沢山の中国人達との厚い信頼と深い理解による繋がりは、ますます深まるだろう。
日中交流によって、多くの人達に、私のような人生の宝物を手に入れて欲しいと心から願う。
(作者/小山内めぐみ)
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