写真はネットより
新華網台北2月22日 (記者/何自力、王昀加)台湾の女性人権団体「婦女救援基金会」(婦援会)は21日に元「慰安婦」の桃お婆ちゃんの出生地である台北・大稲埕(ダーダオチェン)で偲ぶ会を開催し、会の参加者が桃お婆ちゃんのように、困難にくじけず「慰安婦」に謝罪するよう日本政府に求めることで、世の人に歴史を忘れず、平和を大切にするよう伝えねばならないと表明した。
台湾地区の指導者、馬英九氏は偲び記念する会で、日本政府は今なお謝罪しないと非難し、同時にお婆ちゃんが長年にわたり勇敢で剛毅な姿で「慰安婦」女性の人権の第一線に立ち、何ものにも屈しなかった精神は、敬服の念を抱かせると賞賛した。
偲ぶ会で上映された短編映画では、人々に「桃お婆ちゃん」と呼ばれていた陳桃さんが、19歳の時にインドネシアに近いアンダマン諸島まで船で強行的に連れてこられて、そこで「慰安婦」となり、1000回余りの昼と夜を経てようやく台湾へ戻ってきたことを人々に伝えた。陳桃さんは2016年1月11日に肺炎の合併症を引き起こして世を去った。享年95歳。統計によると、当時台湾籍の「慰安婦」は1200人に達していたという。
「桃お婆ちゃんが亡くなってから、台湾籍の『慰安婦』で存命しているのは3人だけだ。彼女たちがあるべき正義と賠償を得られるには、あとどのくらい待たねばならないか分からない。」馬英九氏は、日本政府が「慰安婦」に対する謝罪という議題において誠意を取り出し、反省の道を歩み終え、「慰安婦」にあるべき尊厳や名誉を返してあげるよう望んでいるとの見方を示した。
運命のめぐりあわせが悪い桃お婆ちゃんは台湾に戻ってから、使用人となることを頼りに自分を養ってきた。1998年、桃お婆ちゃんは婦援会に連絡し、昔の事を自発的に語り出し、その後日本政府に謝罪と賠償を求める抗争に積極的に参加した。
「私たちは訴訟では負けましたが、私たちの心は負けていません。」2005年に日本政府を相手とする訴訟に失敗した後、桃お婆ちゃんはこのように語っていた。それから亡くなるまで、桃お婆ちゃんは依然として日本政府からの正式な謝罪と賠償を獲得していない。
(新華社より)
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