【新華社北京9月10日】ロシア極東のウラジオストク市郊外にある全ロシア児童センター「オケアン」は、1隻の真っ白な帆船のように見える。それは海に向かって建ち、世界各地の子どもたちを迎えている。10年前、中国四川省などの地震被災地の子どもたちの一団が療養のためにこの地を訪れた。10年が経ち、成長して大きくなった数十人がこの愛に満ちた「オケアン」を再び訪れる。彼らの物語は中国とロシアの厚い友誼を示している。
「オケアン」の食堂に足を踏み入れると、1枚1枚展示された中国の子どもたちの療養期間の写真が特に目を引く。習近平国家主席は2013年3月、ロシア訪問中にモスクワ国際関係学院の演壇で「オケアン」の物語について語った。2008年の四川大地震発生後、ロシアは即座に中国に支援の手を差し伸べ、被災地の児童を極東などの地での療養に招待した。2010年初春には、当時国家副主席だった習近平氏がロシア訪問中に特別に「オケアン」に赴き深い感謝の意を表した。
ロシアのメドベージェフ大統領(当時)は、被災地の子ども1500人余りを療養のため2008年と2009年の2回に分けてロシアへ招き、うち半数以上が「オケアン」で療養した。中国とロシアの首脳自らが関心を寄せ、気をかけ、行動したことは「オケアン」の物語を両国の友誼における美談として子どもたちの心に美しい思い出を残した。
23歳の薛雪(せつ・せつ)さんは療養当時の趣味の授業で作成した写真立てを今でも大切に持っている。初めての水泳、初めてのアイススケート、初めてのロシア語の歌など毎日が充実して楽しかった。中国の子どもたちは「オケアン」であふれんばかりの愛情をその身に浴び、生きる気力をよみがえらせ、心に一生寄り添う貴重な財産を得た。
「オケアン」には海に流した瓶の物語が語り継がれている。2008年の「オケアン」療養期間終了に際して、一人の男の子が願い事を瓶に入れて海に投げ入れた。4カ月後に職員が海岸で拾った1本の瓶の中には「ロシアが大好きだ」と書かれた紙が入っていた。瓶を流した北川県の席浚斐(せき・しゅんひ)さんは2014年に「オケアン」に戻って来た。席さんは中国国家留学基金管理委員会の資金援助と当時「オケアン」主任だったマルゾエフ氏の助けを借りてロシアに留学した。現在、極東連邦大学の4年生で、修士課程を修了した後に故郷に戻ろうと考えている席さんは、われわれの世代は中国とロシアの友誼を発揚し伝承する重責を担っていると述べた。
「オケアン」の愛は、中国とロシアの長期にわたる固い友情の証で、たわわな実を結んでいる中ロの人的・文化交流の縮図となっている。2004年にロシアで起きたベスラン学校占拠事件の後、中国政府が被害を受けた児童を自国に招いて療養させ、心尽くしの世話をしたことをロシアの人々は忘れていない。「オケアン」の教師や児童は、長年にわたり中国に繰り返し招かれ、毎回熱烈な歓迎を受けている。中ロ「国家年」「言語年」「観光年」「青年友好交流年」の後を受けた「中ロメディア交流年」は昨年末、成功裏に終了した。双方は今年新たに「中ロ地方協力交流年」の素晴らしい幕開けを迎えた。
ロシアのイワノフ元外相は以前、両国の友情が確実に受け継がれるようにするには、今から「中国・ロシア友好バトンタッチ事業」を重点的に推進しなければならないと述べた。かつてロシア教育科学省の副大臣を務めたセンチュリン氏は、ロシアが中国の地震被災地の子どもたちを療養のため受け入れたことは、子どもたちの心身の回復を手助けするという意義をはるかに超える大きな意味があったと指摘。中国の子どもたちの心にまいた中ロ友好の種が現在、根を下ろし、芽を出し、花開き、実を結んだと語った。センチュリン氏はまた、両国首脳の戦略的導きと自身の実践が、人的・文化交流を促進し、世代を超えて続く友好の大きな原動力となっているとして、ユーラシア大陸の最大の国土面積を誇る両国が、肩を並べて苦難を乗り越え、共通の夢を心に抱き、手を携えて未来に向かって前進していると述べた。
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