【新華社広島8月6日】日本の広島市は6日、平和記念公園で原爆投下から73年目の記念式典を行った。犠牲者の遺族や市民ら約5万人が参列し犠牲者への追悼を行い、世界の恒久平和への誓いを新たにした。一方で会場付近には数百人の民衆が集まり、安倍晋三首相の式典参加に抗議し、安倍内閣による改憲の阻止を訴えた。
午前8時に始まった記念式典では、松井一実・広島市長と犠牲者の遺族代表が、この1年間で死亡が確認された5393人の名前が記された原爆死没者名簿を慰霊碑に納めた。原爆投下時刻の8時15分には平和の鐘が打ち鳴らされ、参列者全員が起立し1分間の黙祷を捧げた。
松井市長は平和宣言で、全世界の人びとが核兵器廃絶と世界の恒久平和に向け共に努力するよう呼びかけ、平和の象徴である白い鳩が空へと放たれた。
安倍首相は式典のあいさつで、日本政府が引き続き「非核三原則」を堅持することに言及したが、広島ともう一つの被爆地、長崎に原爆が投下されるに至った歴史的背景に触れることはなかった。
安倍首相のあいさつの最中には、日本各地から集まった数百人の民衆が会場付近で「戦争と改憲に反対」「安倍は帰れ」などのスローガンを叫び、首相の式典参加に強く抗議した。
抗議行動の主催団体「8・6ヒロシマ大行動」実行委員会の官原亮事務局長は新華社の取材に対し、安倍政権は改憲で日本を戦争の出来る国に変えようとしていると指摘。抗議行動の目的は安倍首相の改憲の企図を粉砕するよう人々に呼びかけることだと述べた。
兵庫県から来た手島俊治さんは記者に対し、当時はまだ1歳で爆心から28キロの場所に実家があったが、被爆当日は高熱が下がらず、そのため重い中耳炎にかかり、2度の大手術を受けたと述べた。父親は息子の治療のために一生苦労し、持つもの全てを治療に費やしたと語る手島さんは、安倍政権の改憲の動きに憤りを示し、安倍政権は職責を果たさずむだ飯を食うばかりで、日本国民は容認することが出来ないと表明した。
日本は世界で唯一の被ばく国。侵略戦争を起こした日本の早期降伏を促すため、米軍は1945年8月6日と9日に、広島と長崎にそれぞれ原子爆弾を投下した。日本は長期にわたり、自らを第二次大戦で被爆した「被害者」であるとしてきたが、原爆投下に至った歴史的背景について語られることは少ない。
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