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謎の人物「井真成」に迫る【映像】
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2018-07-14 16:52:31 | 新華社 | 編集: 王珊寧

  【新華社西安7月14日】1200年以上前に「井真成」という名の日本人遣唐使が、唐の長安に滞在していたことを百文字余りで記録した一尺(約33センチ)余りの白い石でできた墓誌(死者の経歴を記して、一緒に墓に埋葬する石)がある。

  この墓誌の発見者で西北大学博物館の副研究館員、賈麦明氏は2004年、中国西安市の東部にある古美術市で、偶然この墓誌を発見した。墓誌のふたは青石でできており、篆書体(てんしょたい)で「贈尚衣奉御井府君墓誌之銘」(「尚衣奉御」は官位名)と刻まれている。

  井真成は唐の開元年間に遣唐使の一員として長安を訪れ、そして開元二十二年(西暦734年)、36歳の時に思いがけず亡くなった。唐の皇帝、玄宗は彼に尚衣奉御の官職を与え、長安の万年県にある滻水のほとりに埋葬した。滻水は唐の長安の東に位置し、現在の西安市東部郊外にある滻河のことを指す。

  この地が埋葬場所に選ばれたのは、正に死者は異国に埋葬されたが故郷の方向に向けて葬られたことを示す証だと言える。

  この墓誌が発見されてから、多くの中国や日本の学者たちが「井真成」の境遇について調査や考証を行ってきた。しかし現在、考古学者や歴史学者は「井真成」に関わる別の文献や文化財の発見には至っておらず、1200年以上前に長安城で長い眠りについた遣唐使はより神秘的な存在となっている。

  井真成の墓誌が見つかったニュースは日本で大きな反響を呼び、この文化財はすでに日本で4回展示されている。

  西北大学博物館 賈麦明副研究館員

  中国国内で遣唐使の墓誌が見つかったのはこれが初めてだ。遣唐使は唐代に十数回あったが、残っている墓誌はこれしかなく、これが墓誌発見の一つ目の意義だ。二つ目は「国号日本」と記載してあることで、この墓誌が日本の国名を記録した最古の文化財となった。これまで「日本」という国名が出てくるのは、すべて文献に記載されたもので、これに関する文化財を見たことはなかった。(記者/楊一苗、付瑞霞)

 

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