陜西省宜川県の虫坪塬遺跡の車馬坑から出土した軎轄(車輪を固定するくさびの一種)。
【新華社西安7月13日】現代は結婚の意味で用いられる熟語「秦晋之好」は、春秋時代(紀元前770~前476年)の秦国と晋国との間の政治同盟から生まれた。秦晋両国の勢力範囲は2500年以上前はどうだったのか。考古作業員らが中国陜西省宜川県で発掘した春秋時代の遺跡は、この研究に新たな手がかりを提供した。
陜西省考古研究院と宜川県博物館は、同県の丹州鎮虫坪塬村にある虫坪塬遺跡の調査と発掘を行った。調査によると、同遺跡は居住地と墓地からなり、南北の長さは約700メートル、東西の幅は最大で約250メートル、面積は約10万平方メートルに達するという。
調査により、同遺跡には竪穴土坑墓45カ所、洞穴墓9カ所、車馬坑1カ所などが存在したことを明らかにした。考古作業員らは墓葬21カ所、車馬坑1カ所、灰坑3カ所、灰溝2カ所を発掘・整理した。出土品には銅器、陶器、玉石、骨などの文化財110点(組)余りが含まれていた。
同研究院の丁岩研究員は、遺物の暫定調査によると遺跡内の居住跡や墓地の年代はほぼ一致しており、主に春秋初期の段階に集中し、文化様式は黄河東岸の晋文化に類似しているという。
地理的位置については、宜川は黄河の西岸に位置し、東は晋文化の中心地域に面しており、西は秦と境を接していたという。同遺跡の発見と発掘は、春秋時代の晋国の勢力範囲や、秦晋両国間の政治勢力の興亡、北方民族の活動地域の南境区分に新たな根拠を提供した。(記者/楊一苗)