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福島原発事故から7年 消えない傷跡、廃炉までの道のり遠く
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2018-03-12 16:19:24 | 新華社 | 編集: 王珊寧

  【新華社東京3月12日】死者1万5895人、行方不明者2539人。今も7万3349人が避難生活を余儀なくされている。原子炉3基の計257トンの核燃料がメルトダウンし、福島第一原発には約100万トンの汚染水が保管されている。2011年3月11日の東日本大震災から7年、被災地では復興に向けさまざまな取り組みが行われているものの、原発事故の暗い影はいまだ払拭されていない。内堀雅雄福島県知事は、あの日が「福島の運命を劇的に変えた」と語った。

  東北地域に甚大な被害をもたらした7年前の大震災。被害が最も深刻だったのは福島、宮城、岩手の3県。地震とその後の津波だけでみると、宮城県の死者は9540人と最も多く、福島県の1614人をはるかに超えている。だが、全体的にみると、震災の影響が最も大きかったのは福島県といえる。原発事故は豊かな資源と美しい自然に恵まれた福島県を恐怖の土地へと一変させた。広大な土地が今でも事実上立ち入り禁止である「避難区域」とされ、同県の人口は震災前から約14万8千人減少、県内にはいまだ5万人が避難生活を余儀なくされている。

  福島県の避難区域は、2011年の約1600平方キロから(同県の総面積の12%に相当)現在の約370平方キロ(同2・7%)まで縮小されたが、新たに避難解除となった地域に戻ろうとする人はほとんどいない。事故後メディアに頻繁に報じられた飯館村の住民の帰還率はわずか10分の1、福島第一原発の南側に位置する富岡町では5%にも満たない。

  帰還者は主に高齢者で、若い世代、特に子育て世代の多くは他の土地で生活を確立し、原発事故の暗い影が残る故郷に戻ろうとはしない。政府が示した年間積算被ばく線量が20ミリシーベルト以下という制限解除の根拠に疑問を呈する人も少なくない。

  記者は2017年初めに福島第一原発を取材した。原発付近の町や村は避難区域となっており、1本の国道のみ通行が許されていた。荒れ果てた光景が一面に広がる中、放射線測定器の警報音が目に見えない危険を知らせる。

  福島第一原発から約20キロ以内に入ると、道路脇の田んぼに山積みされた大量の巨大な黒い袋をしばしば目にするようになる。除染作業で出た放射能汚染土だ。環境省の統計によると、汚染土などの廃棄物は2017年初めに1500万立方メートルを超えたという。福島第一原発付近に最大2200万立方メートルの廃棄物を保管可能な中間貯蔵施設が完成し、各地の仮置場に保管されていた除染廃棄物が集められるが、最終的に汚染物をいかに処理するかについてのめどは立っていない。

  内堀知事は「福島は2011年、地震、津波、原発事故、風評という複合災害を経験した。福島の運命と歴史が劇的に変わったのがあの2011年の3月のことだった。この複合災害は過去形ではなく残念ながら現在進行形だ。そして日本国内はもちろん世界でも前例がない。そういう意味で我々は非常に苦しんでいる」と語った。

  一方で内堀氏は、原発事故の避難区域は徐々に減少しており、帰還困難区域を除き、県内の面的除染作業は間もなく終了すると述べ、県内主要都市の空間放射線量が世界の主要都市と同等のレベルまで下がっており、外国人観光客の宿泊者数も震災前の水準を超えたと強調した。

  福島第一原発の廃炉作業について福島県に主導権はない。政府と東京電力が主導するロードマップは廃炉完了まで30~40年かかると見込んでいる。ただ、これは単なる目標でしかなく、実際には燃料デブリの取り出しや100万トンを超える汚染水の処理など課題が山積している。

  地震と津波の影響で福島第一原発は1号機から3号機がメルトダウンし、冷却機能が止まった原子炉圧力容器内で核燃料棒が高温で溶け出し、格納容器の底などに落ちて燃料デブリとなった。国際廃炉研究開発機構(IRID)の研究によると、原発事故で計257トンの核燃料がメルトダウンし、溶解した燃料棒と圧力容器内のその他の金属物質が混ざり合い、形成された燃料デブリは総重量880トンに達しているという。超高濃度放射性物質である燃料デブリをいかにして取り出すかが廃炉作業における最大の難問となっている。

  福島第一原発の廃炉作業責任者である増田尚宏氏によると、東電や外部会社の社員を含む約5千人が原発で作業に当たっている。1~3号機付近では放射線量が非常に高く、最高レベルの放射能防護装備が必要だが、原発の他の区域では作業環境が改善しており、作業員の月間積算被ばく線量が0・3ミリシーベルトにまで下がったという。東電はロボットなどを使って1~3号機の格納容器内部を調査・撮影し、燃料デブリのおおまかな分布状況を把握した。これらは取り出し計画の策定に活用される。

  増田氏によると、1~4号機は現在、すべて冷温停止状態にあり、事故当時未稼働だった4号機の使用済み核燃料プールにあった1533本の燃料棒は2014年末にすべて取り出されている。メルトダウンした1~3号機の使用済み核燃料プールにはそれぞれ、392本、615本、566本の燃料棒が残されており、廃炉に向けた中長期ロードマップによると、3号機の燃料棒取り出し作業を年内に開始するという。3号機上部にはすでに取り出し作業中に放射性物質が飛散しないよう屋根カバーが設置されている。1号機と2号機の燃料棒取り出し作業は2023年から実施される。

  燃料デブリの取り出しについては、増田氏は、中長期ロードマップに基づき、政府と東電は2019年に1号機内の燃料デブリの取り出し計画を策定、原発事故発生10年後に当たる2021年に取り出しを開始すると述べ、作業は30~40年かかり、完全に終了するのは2041~2051年になる見通しを示した。

  燃料棒と燃料デブリの撤去という最も困難な作業のほか、東電にとって汚染水問題も頭を抱える大きな問題だ。福島第一原発の敷地内には1千基以上の大型汚水タンクが林立し、各タンクの容量は1千トンを超え、汚水総量は約100万トンに達する。1日当たりの汚染水の増加量は2年前の400トンから約100トンまで減少したが、汚染水に含まれるトリチウム(三重水素)の除去が困難であるため、汚水タンクを増設して汚染水を保管するしかないという。同社は2020年までに汚水タンクの容量を137万トンまで増やす計画。

  同社の川村隆会長は以前、汚水を「海に放出する」方針を示したが、地元の漁業関係者らが反対。国際社会も政府の汚染水処理をめぐる動きに関心を寄せている。政府と東電は解決策を求め知恵を絞り続けている。(記者/華義)

 

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新華網日本語

福島原発事故から7年 消えない傷跡、廃炉までの道のり遠く

新華網日本語 2018-03-12 16:19:24

  【新華社東京3月12日】死者1万5895人、行方不明者2539人。今も7万3349人が避難生活を余儀なくされている。原子炉3基の計257トンの核燃料がメルトダウンし、福島第一原発には約100万トンの汚染水が保管されている。2011年3月11日の東日本大震災から7年、被災地では復興に向けさまざまな取り組みが行われているものの、原発事故の暗い影はいまだ払拭されていない。内堀雅雄福島県知事は、あの日が「福島の運命を劇的に変えた」と語った。

  東北地域に甚大な被害をもたらした7年前の大震災。被害が最も深刻だったのは福島、宮城、岩手の3県。地震とその後の津波だけでみると、宮城県の死者は9540人と最も多く、福島県の1614人をはるかに超えている。だが、全体的にみると、震災の影響が最も大きかったのは福島県といえる。原発事故は豊かな資源と美しい自然に恵まれた福島県を恐怖の土地へと一変させた。広大な土地が今でも事実上立ち入り禁止である「避難区域」とされ、同県の人口は震災前から約14万8千人減少、県内にはいまだ5万人が避難生活を余儀なくされている。

  福島県の避難区域は、2011年の約1600平方キロから(同県の総面積の12%に相当)現在の約370平方キロ(同2・7%)まで縮小されたが、新たに避難解除となった地域に戻ろうとする人はほとんどいない。事故後メディアに頻繁に報じられた飯館村の住民の帰還率はわずか10分の1、福島第一原発の南側に位置する富岡町では5%にも満たない。

  帰還者は主に高齢者で、若い世代、特に子育て世代の多くは他の土地で生活を確立し、原発事故の暗い影が残る故郷に戻ろうとはしない。政府が示した年間積算被ばく線量が20ミリシーベルト以下という制限解除の根拠に疑問を呈する人も少なくない。

  記者は2017年初めに福島第一原発を取材した。原発付近の町や村は避難区域となっており、1本の国道のみ通行が許されていた。荒れ果てた光景が一面に広がる中、放射線測定器の警報音が目に見えない危険を知らせる。

  福島第一原発から約20キロ以内に入ると、道路脇の田んぼに山積みされた大量の巨大な黒い袋をしばしば目にするようになる。除染作業で出た放射能汚染土だ。環境省の統計によると、汚染土などの廃棄物は2017年初めに1500万立方メートルを超えたという。福島第一原発付近に最大2200万立方メートルの廃棄物を保管可能な中間貯蔵施設が完成し、各地の仮置場に保管されていた除染廃棄物が集められるが、最終的に汚染物をいかに処理するかについてのめどは立っていない。

  内堀知事は「福島は2011年、地震、津波、原発事故、風評という複合災害を経験した。福島の運命と歴史が劇的に変わったのがあの2011年の3月のことだった。この複合災害は過去形ではなく残念ながら現在進行形だ。そして日本国内はもちろん世界でも前例がない。そういう意味で我々は非常に苦しんでいる」と語った。

  一方で内堀氏は、原発事故の避難区域は徐々に減少しており、帰還困難区域を除き、県内の面的除染作業は間もなく終了すると述べ、県内主要都市の空間放射線量が世界の主要都市と同等のレベルまで下がっており、外国人観光客の宿泊者数も震災前の水準を超えたと強調した。

  福島第一原発の廃炉作業について福島県に主導権はない。政府と東京電力が主導するロードマップは廃炉完了まで30~40年かかると見込んでいる。ただ、これは単なる目標でしかなく、実際には燃料デブリの取り出しや100万トンを超える汚染水の処理など課題が山積している。

  地震と津波の影響で福島第一原発は1号機から3号機がメルトダウンし、冷却機能が止まった原子炉圧力容器内で核燃料棒が高温で溶け出し、格納容器の底などに落ちて燃料デブリとなった。国際廃炉研究開発機構(IRID)の研究によると、原発事故で計257トンの核燃料がメルトダウンし、溶解した燃料棒と圧力容器内のその他の金属物質が混ざり合い、形成された燃料デブリは総重量880トンに達しているという。超高濃度放射性物質である燃料デブリをいかにして取り出すかが廃炉作業における最大の難問となっている。

  福島第一原発の廃炉作業責任者である増田尚宏氏によると、東電や外部会社の社員を含む約5千人が原発で作業に当たっている。1~3号機付近では放射線量が非常に高く、最高レベルの放射能防護装備が必要だが、原発の他の区域では作業環境が改善しており、作業員の月間積算被ばく線量が0・3ミリシーベルトにまで下がったという。東電はロボットなどを使って1~3号機の格納容器内部を調査・撮影し、燃料デブリのおおまかな分布状況を把握した。これらは取り出し計画の策定に活用される。

  増田氏によると、1~4号機は現在、すべて冷温停止状態にあり、事故当時未稼働だった4号機の使用済み核燃料プールにあった1533本の燃料棒は2014年末にすべて取り出されている。メルトダウンした1~3号機の使用済み核燃料プールにはそれぞれ、392本、615本、566本の燃料棒が残されており、廃炉に向けた中長期ロードマップによると、3号機の燃料棒取り出し作業を年内に開始するという。3号機上部にはすでに取り出し作業中に放射性物質が飛散しないよう屋根カバーが設置されている。1号機と2号機の燃料棒取り出し作業は2023年から実施される。

  燃料デブリの取り出しについては、増田氏は、中長期ロードマップに基づき、政府と東電は2019年に1号機内の燃料デブリの取り出し計画を策定、原発事故発生10年後に当たる2021年に取り出しを開始すると述べ、作業は30~40年かかり、完全に終了するのは2041~2051年になる見通しを示した。

  燃料棒と燃料デブリの撤去という最も困難な作業のほか、東電にとって汚染水問題も頭を抱える大きな問題だ。福島第一原発の敷地内には1千基以上の大型汚水タンクが林立し、各タンクの容量は1千トンを超え、汚水総量は約100万トンに達する。1日当たりの汚染水の増加量は2年前の400トンから約100トンまで減少したが、汚染水に含まれるトリチウム(三重水素)の除去が困難であるため、汚水タンクを増設して汚染水を保管するしかないという。同社は2020年までに汚水タンクの容量を137万トンまで増やす計画。

  同社の川村隆会長は以前、汚水を「海に放出する」方針を示したが、地元の漁業関係者らが反対。国際社会も政府の汚染水処理をめぐる動きに関心を寄せている。政府と東電は解決策を求め知恵を絞り続けている。(記者/華義)

 

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