新華網北京12月9日(記者/徐剣梅、陸佳飛、劉帥)7日はホワイトハウス、キャピトルヒル、ワシントン、ハワイなどの全米各地で、ポールの半分辺りに星条旗が低くたなびいていた。この日は真珠湾攻撃から75年を迎える記念日で、全米各地で半旗が掲げられ、記念行事が相次いで開催された。
1941年12月7日、静寂な日曜日の早朝に日本軍がハワイにある米国海軍基地の真珠湾を攻撃し、米国の死傷者は約3,600人に上った。当時のルーズベルト大統領はこの日を「屈辱の日」と名付けた。米国はこれを契機に第二次世界大戦に参戦し、全世界の人々が反ファシズムの正義の戦いに加わった。75年後の今日、米国は引き続き「永く記憶にとどめて忘れない。」という決意を示した。
95歳の元陸軍一等兵のエドワード・ディビス氏は真珠湾攻撃事件の生存者で、朝夕を共にした9人の戦友が75年前のこの日に亡くなった。ディビス氏は現在、ワシントンの退役軍人住宅で生活している。ディビス氏は取材現場で、夜に何度も当時の光景を思い出したと語り、真珠湾攻撃事件は「終始私の脳裏の奥深くに留まっている。」と記者に話した。
ウイリアム・エティング氏は父親のフランク氏に同伴して記念行事に出席した。エティング氏は父親と叔父はいずれも第二次世界大戦の元兵士で、1945年にビルマ侵略日本軍の無条件降伏を自分の目で見届けたと新華社記者に伝えた。「真珠湾攻撃事件と第二次世界大戦は非常に重大な事件だ。米国、中国、世界にとって、これらの出来事を追悼することはとても重要だ。」と述べた。エティング氏は日本の安倍首相が12月下旬に真珠湾を訪問するが、日本が当時、発動した侵略戦争に謝罪する意向がないことを理解できないと指摘し、「安倍首相は謝罪すべきで、私はそのことは大変、重要だと考えている。」と語った。
(新華社より)
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