中国人にとって、ノーベル賞は心のしこりである。近年、莫言氏がノーベル文学賞、屠呦呦氏がノーベル生理学・医学賞を受賞し、焦る中国人をなだめた。しかし日本は今回、再び中国人に落ち着きを失わせた。2012年と2015年に続き、日本は再びノーベル生理学・医学賞を受賞し、かつ2000年以降の受賞者数を15人に増やした。ノーベル賞が一つの基準になるとは限らないが、これほどかけ離れた数値は確かに問題である。
我々はこの問題により、非常に類似した、国内の学術界を悩ませ続けている「中国からなぜ巨匠が出ないのか」という、銭学森の問いを連想しやすい。中国の教育分野に問題が山積していることは否めない。幼稚園から大学、マクロ体制から受験目的の教育に至るすべてに、国情と「改革の痛み」を見て取ることができる。しかし問題が多すぎるからこそ、真の「元凶」がどこにあるかが分かりにくくなっている。
巨匠の不在は大学の教育システムのせいという、普遍的な誤解がある。大学は巨匠を育成すると誓いを立てているが、これは自縄自縛だ。一流の秀才や一流の科学者は大規模に育成できるかもしれないが、巨匠やノーベル賞クラスの科学者は「育成」だけでは生まれない。例えばノーベル賞を受賞したアインシュタイン、日本の田中耕一氏、さらにはノーベル賞を受賞していないが人々から認められている華羅庚、袁隆平氏は、学校での成績は平凡だった。華羅庚に至っては大学に通ったことがない。
我々は習慣的に、または当然のこととして、研究開発費が必要と考える。しかし2015年のデータによると、イスラエル、フィンランド、韓国、スウェーデンなどの研究開発費がGDPに占める割合は、いずれも日本を上回っている。ところがフィンランドや韓国からは、ノーベル賞の受賞者が一人も出ていない。また屠呦呦氏の受賞理由は、主に1970年代のアルテミシニンの発見によるものだが、当時の研究開発費は限られていた。彼女の「海外留学経験なし、博士学位なし、院士の肩書なし」という背景も注目に値する。今回受賞した大隅良典氏は酵母の細胞の研究者だが、それほど多くの経費を必要としない。「意外」にも受賞した田中耕一氏は無名の会社員で、会社の科学研究費以外の経費を手にしていなかった。
日本のノーベル賞受賞現象は注目に値する。彼らのこだわりを追求する「匠の精神」は、外界に依存しない内なる心のエネルギーだ。会社員の田中耕一氏は実験を続けるため、出世を目指さなかった。今回受賞した大隅良典氏は変人を自称し、「人と競争したくない。他人がやらないことをやるのが楽しみの本質だ」と話している。世界に目を向けると、多くのノーベル賞クラスの科学者が数十年に渡り、実験装置と毎日付き合っていることが分かる。その努力は受賞と関わりなく、受賞も仕事の継続に影響を及ぼしていない。彼らが重視するのは、学術と研究がもたらす楽しみだけだ。(筆者:劉志権 南京師範大学文学院准教授)
(チャイナネット)
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