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英語で書かれた中国に残る最も古い大学卒業証書
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-06-14 21:56:31 | 人民網日本語版 | 編集: 张一

   この新聞紙サイズの大きな紙が卒業証書だと誰が思うだろう?だが、これは正真正銘の卒業証書であるだけではなく、中国大陸部に残る最も古い大学卒業証書だ。この卒業証書は西南交通大学公文書館に収蔵されている。興味がある人は、同校の大学史料館でそのレプリカを見ることができる。華西都市報が伝えた。

   この卒業証明書は、一体どんな歴史を背負っているのだろう?1896年、直隷総督・北洋通商大臣を務めていた王文韶氏が学校創設を光緒帝に上奏し認められ、西南交通大学の前身となる「山海関北洋鉄路官学堂(Imperial Chinese Railway College)」が誕生した。同校は創設当初から、学生に対する条件が極めて厳しく、学生は鉄道・道路管理機関が実施する試験にパスしなければ入学が許されなかった。入学したらそれで終わりではない。多くの厳しい難関を突破してようやく入学した学生は、たびたび行われる試験に臨まなければならなかった。成績優秀者は名前が発表され、褒賞が与えられる。一方、成績が芳しくなければ留年、退学、あるいは卒業証書を受け取れないことになる。第一期生を募集したとき、最初の計画では2クラス40人を募集する予定だったが、学生に求める質が高すぎたため、定員割れという事態に陥った。

   1900年、「山海関北洋鉄路官学堂」一期生2クラスの学生が卒業した。39人のうち、晴れて卒業証書を手にした学生は17人だけだった。これは、中国現代教育史上で初めて、正規の土木工学科大学卒業証書となった。張孝基さんは、この卒業証書を手にした卒業生の一人だった。

   張さんの卒業証書は、サイズが現代の新聞紙(四つ切り)よりさらに大きく、正面の上方には、英語で「Imperial Chinese Railway College(直訳:中華帝国鉄道学院)」と印刷されている。右側には毛筆による手書きで「山海関北洋鉄路官学堂張孝基」としたためられている。当時、同校に入学後、まず2年間は予科で学ばなければならなかったため、学生は外国語科目を履修した。その後、やっと2年間の専門課程に進むことができた。卒業証書を見る限り、張さんの専攻学科は土木工学だったようだ。関連資料によると、当時の大学学部は現在と同じく4年制で、全課程には30あまりの専攻が設けられていた。

   この卒業証書は、なぜすべて英文で書かれているのだろうか?南西交通大学公文書館の元館長だった張雪永教授は、「1896年、国内で初めての大学が設立されたが、専門の教員や学校を管理する人がいなかったことから、学校の主任教員や講師は全員、外国人だった。卒業証書の発行に際しても『海外バージョン』になったことは無理もないだろう」と説明した。

 

(人民網日本語版)

 

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新華網日本語

英語で書かれた中国に残る最も古い大学卒業証書

新華網日本語 2016-06-14 21:56:31

   この新聞紙サイズの大きな紙が卒業証書だと誰が思うだろう?だが、これは正真正銘の卒業証書であるだけではなく、中国大陸部に残る最も古い大学卒業証書だ。この卒業証書は西南交通大学公文書館に収蔵されている。興味がある人は、同校の大学史料館でそのレプリカを見ることができる。華西都市報が伝えた。

   この卒業証明書は、一体どんな歴史を背負っているのだろう?1896年、直隷総督・北洋通商大臣を務めていた王文韶氏が学校創設を光緒帝に上奏し認められ、西南交通大学の前身となる「山海関北洋鉄路官学堂(Imperial Chinese Railway College)」が誕生した。同校は創設当初から、学生に対する条件が極めて厳しく、学生は鉄道・道路管理機関が実施する試験にパスしなければ入学が許されなかった。入学したらそれで終わりではない。多くの厳しい難関を突破してようやく入学した学生は、たびたび行われる試験に臨まなければならなかった。成績優秀者は名前が発表され、褒賞が与えられる。一方、成績が芳しくなければ留年、退学、あるいは卒業証書を受け取れないことになる。第一期生を募集したとき、最初の計画では2クラス40人を募集する予定だったが、学生に求める質が高すぎたため、定員割れという事態に陥った。

   1900年、「山海関北洋鉄路官学堂」一期生2クラスの学生が卒業した。39人のうち、晴れて卒業証書を手にした学生は17人だけだった。これは、中国現代教育史上で初めて、正規の土木工学科大学卒業証書となった。張孝基さんは、この卒業証書を手にした卒業生の一人だった。

   張さんの卒業証書は、サイズが現代の新聞紙(四つ切り)よりさらに大きく、正面の上方には、英語で「Imperial Chinese Railway College(直訳:中華帝国鉄道学院)」と印刷されている。右側には毛筆による手書きで「山海関北洋鉄路官学堂張孝基」としたためられている。当時、同校に入学後、まず2年間は予科で学ばなければならなかったため、学生は外国語科目を履修した。その後、やっと2年間の専門課程に進むことができた。卒業証書を見る限り、張さんの専攻学科は土木工学だったようだ。関連資料によると、当時の大学学部は現在と同じく4年制で、全課程には30あまりの専攻が設けられていた。

   この卒業証書は、なぜすべて英文で書かれているのだろうか?南西交通大学公文書館の元館長だった張雪永教授は、「1896年、国内で初めての大学が設立されたが、専門の教員や学校を管理する人がいなかったことから、学校の主任教員や講師は全員、外国人だった。卒業証書の発行に際しても『海外バージョン』になったことは無理もないだろう」と説明した。

 

(人民網日本語版)

 

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