北京には、「八里庄」「三里河」「五路居」「大柵欄」という地名がそれぞれ2カ所ずつあり、たびたび人を混乱に陥れる。同市はこのほど、地名文化遺産の詳細をより明らかにする目的で、北京地名センサスをスタートさせた。市計画委員会は8日、北京が今後、新たに地名をつける際に、「大げさ」「新しさ」「奇抜さ」を決して求めず、重複する名前は可能な限り避けるという方針を明らかにした。北京日報が伝えた。
〇地名も「由来」調査が必要
他の地域から北京を訪れた観光客にとって、初めて耳にする北京の地名の多くには、「田舎臭さ」や「俗っぽさ」が漂っている。たとえば、北京の地名の中には「窯」という字がたびたび登場する。「大北窯」「劉家窯」「鮑家窯」などがその一例だ。また、「村」「屯」「洼」という字も良く見かける。さらに、「公主墳」「鄭王墳」「八王墳」「鉄獅子墳」「索家墳」など、「墳」を使った地名まである。
これらの地名はすべて、第2回地名センサスで一つ一つ記録される。1979年から1986年にかけて、中国では第1回全国地名センサスが実施された。今なぜ2回目のセンサスを実施する必要があるのだろうか?
市計画委員会の担当者は、「今回第2回調査が実施されるのは、1回目のセンサスで基礎資料が数多く残されたにも関わらず、地名文化の形成要因や由来に関する掘り下げた調査が不十分だったことによる。地名センサスの結果を転化することは、北京の地名文化遺産の詳細状況を明らかにし、地名文化の起源を発掘や保護戦略をする上で、極めて有利に働く」と語る。
こうした「俗っぽい」地名を記録することは、歴史文化上の名都市を保護することと関係があるのだろうか?牛街街道事務所のセンサス予備調査表には、地理的な位置、名称、座標のほか、「唐の時代は幽州潘鎮の城、遼の時代には南京東南部、金の時代には中都内城の東、元の時代は大都南城、明の時代になると北京外城、清の時代は外右四区に属した。1952年、宣武区の一部となる。1960年4月、牛街人民公社が創設される。1962年2月、牛街街道が復活。2010年7月、西城区に属する」と記載されている。
このような調査は、地名調べに留まらず、由来を調べ、「血縁」を辿るのと同じだ。今後、きちんと整理されたこれらの成果は、興味を持つ数多くの市民が検索できるよう、各種ルートを通じて一般公開される。
〇奇妙な地名や重複を避けるためデータベースを構築
センサスが実施されると、担当者は、膨大な数の地名を集め、細かく整理し、記録に残し、より精確な「地名データベース」の構築に取り組む。
市計画委員会担当者は、次の通りコメントした。
ある程度の時間が経過すると、都市の建設、文化の浸透、人口流動、市場主体の個体行為などによって地名の変更が行われるという現象は、頻繁に見られることだ。また、この過程において、地名のつけ方や地名の変更手続きが規範化されておらず、ネット上に登場する地名に対する監督管理が行き届かないと、さまざまな西洋風地名や奇妙な地名の出現および地名の重複が後を絶たなくなる。
過去の地名重複は、取り消すことはできないが、データベースを構築することで、今後の新たな重複は避けることができる。これらの地名センサスの成果が転用され、北京は北京地名情報データベースを構築すると、北京というスマート都市の運営において、情報面での基礎的条件が整うことになる。
〇都市と農村で異なる事情 地名命名は計画に従うべき
北京市は2020年までに、精確なデータ、豊富な内容、多様な形式、完備された構造を備えた地名センサス成果を転化した管理サービス体系をほぼ完成させる計画だ。地名センサスの成果は、地図帳、地名録、基準書などの編さん・出版に運用される。また、各級の国家地名・区画データベースの構築・完備、地名情報化サービスの実施、地名情報化サービス関連製品の研究開発にも運用される。
市計画委員会担当者は、「北京における地名計画管理業務は、北京市・区の特徴や文化的特色に基づき、都市と農村の空間上の違いに着目し、土地に適した方法によって進められる」と述べた。
北京は、地名センサスの実施と同時に、郷村、重点機能区、重要歴史文化都市エリアなど一連の特別区の地名計画編さんを加速させる方針で、地名命名における「型通りで融通が利かない」規範の徹底を目指す。
(人民網日本語版)
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