新華網日本長崎8月10日(記者/王可佳)9日、長崎、大雨。
72年前のこの日、米軍が長崎に原子爆弾を投下し、日本の無条件降伏を加速させた。
早朝、多くの人が平和公園を訪れ、原爆犠牲者を追悼した。そして、戦争における日本の加害者としての歴史を銘記し、過去の行いを十分に反省するよう呼びかけた。
長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は、「人々には覚えておくべき日がある。」と語る。
「日本人は当時の原爆の惨状を知るとともに、南京大虐殺、重慶爆撃など加害者としての歴史も忘れてはならず、過去の行いを十分に反省しなければならない。」
被爆者の忠告はあだ耳に残っているが、一部人の戦争についての記憶はすでに徐々に曖昧模糊になっている。
3日前、広島で行われた記念式典では、松井一實広島市長が平和宣言で何と広島の原爆の日を言い間違えてしまった。
井原東洋一会長は記者に対し、この記念日がどの日かを知らない広島の子どもたちがますます増えていると語った。
それだけでなく、広島や長崎の原爆について語る際、ますます多くの日本人の大人が被害者の立場で語り、この悲劇をもたらした真の原因に言及することが少ないことに記者は気づいた。
日本の歴史の教科書も、広島や長崎の原爆により日本人が払った大きな代価について教えるのみで、日本に侵略された中国やアジア諸国の人々の被害や殺戮の歴史的事実については教えていないのである。
日本の平和を愛する人々がさらに受け入れにくいのは、安倍晋三首相を筆頭とする改憲勢力が、日本の平和憲法を改正しようとしていることである。
長崎平和推進協会のメンバーである加藤氏は、歴史の悲劇を繰り返さないため、日本人は、戦争を起こし侵略を行ったこの国の歴史を認め、真相を次の世代に伝えなければならないと語った。
(新華社より)
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