カザフスタンの首都アスタナの遊園地で、パンダのキャラクターに抱き着く子供たち(2017年6月5日、撮影 呉暁凌)。
6月24日、ドイツの首都ベルリン近郊のシェーネフェルト国際空港には、現地の政府関係者や報道陣、一般人など多くの人が集まっていた。待っていたのは、有名人の到着ではなく、特別貨物機に10時間以上乗って中国からやって来たパンダの「夢夢(メンメン)」と「嬌慶(チアオチン」の到着だった。この「スペシャルゲスト」を迎えるために、ドイツ人では盛大な歓迎セレモニーが開催されたほか、敷地面積約5500平方メートルの2頭のパンダの「新居」も準備された。
ここ数十年、パンダが訪れた場所全てで「パンダフィーバー」が巻き起こっている。何とも言えない愛らしい姿の中国のパンダは、世界中に無数のファンを抱えると同時に、中国の外交において、「親善大使」として重要な役割を果たしており、最も知名度の高い中国のシンボルともなっている。
海外の「パンダファン」の歴史は、1000年以上前の唐の時代にまで遡ることができる。当時、パンダは、国礼として日本の天皇に贈られたと言われている。また、1938年に英国に渡ったパンダは、英国の国民と共に第二次世界大戦を経験した。
1949年に中華人民共和国が成立してからも、パンダは「親善大使」として活躍してきた。例えば、1957年、中国は旧ソ連にパンダ「平平(ピンピン)」を贈った。72年には、当時のニクソン米大統領が「砕氷の旅」として訪中。訪中2日目に、「パンダファン」のニクソン夫人が北京動物園を訪れた際にパンダを見学した。そして、訪中の最終段階で、周恩来総理がパーティで、四川省宝興県のパンダ「玲玲(リンリン)」と「興興(シンシン)」を国礼として、米国の国民に寄贈すると突然発表し、ニクソン大統領夫妻を大喜びさせた。数十日後に、パンダ2頭が専用機のボーイング707機に乗って太平洋を渡り、ワシントンに到着すると、雨が降っていたにもかかわらず、米国人8000人以上が迎えた。ワシントンのスミソニアン国立動物園におけるパンダ初公開の日には、2万人以上が訪れた。この年は、米国では「パンダイヤー」と呼ばれている。
その後、パンダは西洋で大人気になり、パンダは「親善大使」として、友好国に寄贈されるようになった。しかし、82年以降はパンダの生息環境が悪化し、個体数も激減したため、中国政府は外国へのパンダ寄贈を停止した。それでも、パンダの「海外への旅」は中断することなく、1984年からは、パンダをレンタル方式で外国に貸し出すようになった。
2016年末の時点で、中国パンダ保護研究センターは、10ヶ国の動物園12ヶ所と、科学研究の面における提携を展開しており、同センターのパンダ計26頭が海外で暮らしている。パンダは文化交流の懸け橋として、その独特の可愛らしさを武器に、中国と世界各国の友好関係の発展を見守ってきた。
今年1月、国連開発計画(UNDP)は、世界から選出した「パンダ大使」17人を発表した。世界五大陸の14ヶ国から来た17人は、「貧困をなくそう」、「人や国の不平等をなくそう」、「気候変動に具体的な対策を」「安全な水とトイレを世界中に」、「飢餓をゼロに」などの目標を掲げた、国連の持続可能な17の発展目標をPRしている。多くの人に親しまれ、世界中で愛されているパンダのイメージを活用して、国連はこの17人を「パンダ大使」と呼んでいる。
(人民網日本語版)