新華網南京1月19日(記者/蒋芳)日本のあるホテルの客室に南京大虐殺と「慰安婦」の史実を否定する右翼系書籍が公然と置かれ、中国の外交部が反応した後も、公式サイトで関係書籍を撤去しないという公式見解を発表しており、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館は18日、これに強く抗議した。
記念館館長で、南京大虐殺史学研究会の張建軍主任研究員は次のように指摘した。『本当の日本の歴史、理論近現代史』はいわゆる人口問題で、第三国関係者の証拠がないなどとして、南京大虐殺は中国がねつ造したと公然と主張した。『南京市政府訓令』の記載によると、1937年6月の南京市の総人口は1,015,450人で、11月23日時点で「本市の現在の人口は約50万人」と統計された。この数字に「南京に駐留する9万人余りの軍人」及び上海、蘇州、常州、鎮江から南京に避難した数万人の難民を加えて、南京の陥落前の総人口は60万人余りに上ったと推計される。同書籍は「本来は当時の南京の人口は20万人だったが、30万人が虐殺されたとされ、その1カ月後に人口が25万人に増加することは不可能だ」と指摘した。これは全くの論点のすり替えで、安全区の人口を用いて、当時の南京市の人口とみなしている。
張建軍主任研究員はまた、「作者が多数の資料を分析したところ、『国民党宣伝部が雇った2人を除いて、欧米人などの第三国の人物が虐殺を目撃した日記、書簡、写真、又は記録が全くない』という記述はさらに根拠のない主張だ。」と述べ、次のように指摘する。南京大虐殺当時に、ジョン・ラーベ氏、ジョン・マギー氏、ルイス・S・C・スマイス氏ら20人余りの欧米人が生命の危険を冒して南京に留まり、南京安全区を設置して難民を救済した。彼らは日本軍が南京で行った焼殺、強姦、略奪などの暴行をその眼で目撃し、日記、書簡などに記録している。これらの檔案と史料はすべて南京大虐殺檔案として国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)から「世界記憶遺産」に認定された基本資料だ。
張建軍主任研究員は更に次のように述べた。「この書籍は日本が『戦争被害者』であるというイメージを植え付け、中国の絶え間ない「挑発」への対処を迫られて「抗戦」した主張している。このような『侵略者の肩書き』を白紙に戻す行為は、是非を転倒するものだ。」一方で、南京大虐殺の元凶で、当時、華中方面の軍司令官だった松井石根がその日記に確固とした証拠を残している。11月28日、日本軍参謀本部は、「南京を追撃する」と電報で指令を下した。松井石根はこの日の日記に「次長から電報で参謀本部の南京進攻に関する決定が伝えられた。大変、嬉しく感じる。ここ数日、私が懸命に語ってきた意見がついに実現した。両軍と後方の連絡パイプは次第に整いつつある。こうなれば、一旦、命令が下されると、遅くとも来月5日に南京進攻を命じることができる。」と書いている。12月1日、日本大本営は「大陸命第8号命令」を正式に発し、「華中方面の軍司令官と海軍が協同で、敵国の首都南京を占領する。」と命じた。その後、日本軍は蘇州、無錫、常州、江陰、鎮江などを占拠し、南京城に迫った。12月10日、旧日本軍は南京城に総攻撃を仕掛けた。12月13日、南京は陥落した。
「歴史と誠実に向き合ってはじめて、真の意味で未来がある。」「南京大虐殺は第二次世界大戦中に日本軍国主義が働いた厳重で非人道的な罪行で、国際社会が公認する歴史的事実であり、全人類にとって共通の記憶であるべきだ。歴史は時代が変遷しても変化することはなく、事実も言葉巧みに言い逃れによって消えることはない。」と張建軍主任研究員は述べた。
(新華社より)
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