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(長征勝利80周年•歴史コードの謎を解く)雪山越えが困難な理由
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-08-25 17:32:04 | 新華網 | 編集: 王珊寧

 

 新華網北京8月25日(記者/郜耿豪、孫傑、梅常偉)3大主力紅軍の長征の途中で、夾金山、夢筆山、長板山、打鼓山、拖羅崗、折多山、哈巴雪山などの数十の雪山を越え、多くの紅軍戦士が雪山で犠牲になった。

 雪山越えは何故、困難なのか。第一に雪山地帯の劣悪な自然環境、第二は紅軍が飢餓に苦しみ、身体が衰え、防寒用の衣服が不足していたなどの原因が挙げられる。

 雪山地帯の劣悪な自然環境 気候が厳寒で、空気が希薄で、雨と雪が入り交じり、道が険しいことが雪山地帯の自然環境の主な特徴と言える。中央紅軍と紅四方面軍が越えた夾金山を例に挙げると、四川省西部に位置し、標高約4,500メートルの万年雪に覆われ、空気が薄く、道も民家もない。この山は天候が激しく変化し、曇り、晴れ、雨、雪が交錯し、時にヒョウが降ったり、強風に見舞われる「神山」と称される。

 飢餓と寒さで紅軍は災難に災難が重なる 雪山地帯の劣悪な自然条件に加えて、飢餓と寒さも紅軍に苦難の試練を与えた。第一に、紅軍は長距離にわたる行軍と作戦を通じて、体力がひどく消耗していた。第二に紅軍将兵の大多数は水郷の出身だったため、厳寒な気候と希薄な空気に適応し難く、雪山の深刻な酸素不足に人々は息苦しさを感じた。第三に、防寒具が不足していた。紅軍戦士は南方から転戦し、薄着だったため、雪山でトウガラシと生姜を食べて防寒するしかなく、多くの戦士が凍傷になり、亡くなった。第四に、紅軍は雪山の地理的知識と理解が不十分だった。雪山を越えるときに、ある戦士は谷間の深さがわからず、不注意で深い谷に滑り落ちた。ある戦士は雪山を登って疲労し、座って休憩したときに、起き上がれなくなった。

 非情な雪山は、多くの戦士の生命を奪った。紅2、紅6軍団は厳寒の気候、食糧不足、酸素欠乏によって、部隊は雪山地帯で2,000人余りを失った。

 団結と相互協力で雪山に打ち勝つ 雪山越えの途中で、紅軍の指揮官と戦闘員は階級を越えた友愛を十分に発揮し、体力で相互に支え合い、党員と幹部がリードする模範的な役割を相次いで発揮した。朱徳、賀竜などの紅軍の高級指揮官は自身の馬を使って衰弱した戦士を助けた。多くの戦士が馬の尻尾を引っ張って大雪山を越えた。 雪山越えの途中で、幅広い紅軍の指揮官と戦闘員は必勝へ揺るぎない信念を抱き、大雪山を征服し、紅軍長征史上、輝かしい1ページを刻んだ。

 

(新華社より)

 

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新華網日本語

(長征勝利80周年•歴史コードの謎を解く)雪山越えが困難な理由

新華網日本語 2016-08-25 17:32:04

 

 新華網北京8月25日(記者/郜耿豪、孫傑、梅常偉)3大主力紅軍の長征の途中で、夾金山、夢筆山、長板山、打鼓山、拖羅崗、折多山、哈巴雪山などの数十の雪山を越え、多くの紅軍戦士が雪山で犠牲になった。

 雪山越えは何故、困難なのか。第一に雪山地帯の劣悪な自然環境、第二は紅軍が飢餓に苦しみ、身体が衰え、防寒用の衣服が不足していたなどの原因が挙げられる。

 雪山地帯の劣悪な自然環境 気候が厳寒で、空気が希薄で、雨と雪が入り交じり、道が険しいことが雪山地帯の自然環境の主な特徴と言える。中央紅軍と紅四方面軍が越えた夾金山を例に挙げると、四川省西部に位置し、標高約4,500メートルの万年雪に覆われ、空気が薄く、道も民家もない。この山は天候が激しく変化し、曇り、晴れ、雨、雪が交錯し、時にヒョウが降ったり、強風に見舞われる「神山」と称される。

 飢餓と寒さで紅軍は災難に災難が重なる 雪山地帯の劣悪な自然条件に加えて、飢餓と寒さも紅軍に苦難の試練を与えた。第一に、紅軍は長距離にわたる行軍と作戦を通じて、体力がひどく消耗していた。第二に紅軍将兵の大多数は水郷の出身だったため、厳寒な気候と希薄な空気に適応し難く、雪山の深刻な酸素不足に人々は息苦しさを感じた。第三に、防寒具が不足していた。紅軍戦士は南方から転戦し、薄着だったため、雪山でトウガラシと生姜を食べて防寒するしかなく、多くの戦士が凍傷になり、亡くなった。第四に、紅軍は雪山の地理的知識と理解が不十分だった。雪山を越えるときに、ある戦士は谷間の深さがわからず、不注意で深い谷に滑り落ちた。ある戦士は雪山を登って疲労し、座って休憩したときに、起き上がれなくなった。

 非情な雪山は、多くの戦士の生命を奪った。紅2、紅6軍団は厳寒の気候、食糧不足、酸素欠乏によって、部隊は雪山地帯で2,000人余りを失った。

 団結と相互協力で雪山に打ち勝つ 雪山越えの途中で、紅軍の指揮官と戦闘員は階級を越えた友愛を十分に発揮し、体力で相互に支え合い、党員と幹部がリードする模範的な役割を相次いで発揮した。朱徳、賀竜などの紅軍の高級指揮官は自身の馬を使って衰弱した戦士を助けた。多くの戦士が馬の尻尾を引っ張って大雪山を越えた。 雪山越えの途中で、幅広い紅軍の指揮官と戦闘員は必勝へ揺るぎない信念を抱き、大雪山を征服し、紅軍長征史上、輝かしい1ページを刻んだ。

 

(新華社より)

 

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