新華網北京8月15日(記者/徐飛、楊茹、娄思佳)1960年、英国の陸軍元帥モントゴメリーが中国を訪問した際に、毛沢東が指揮した遼沈、淮海、平津の3大戦役を世界の歴史上のあらゆる偉大な戦役に匹敵すると褒め称えた。だが、毛沢東は「四渡赤水(赤水河を四度渡る)を私は得意とする。」と述べた。
四渡赤水は中央紅軍の長征において、貴州、四川、雲南の3省の境界にある赤水河流域で国民党軍と展開した運動戦戦役だ。この戦役は遵義会議で毛沢東が核心的内容の策定に加わった後に指揮した最初の戦役行動だった。
四渡赤水は紅軍の長征以降の受け身の局面を一転させた
四渡赤水は中央紅軍の長征において最も人の心を強く揺さぶり、且つ最も素晴らしい軍事行動であり、紅軍が5回目の「包囲討伐」への抵抗に失敗した後に獲得した初めての重大な勝利だった。これにより、長征以降の受け身の局面が一転し、北進の戦略目標を達成するための有利な条件が整った。
この勝利は、毛沢東を代表とする正しい軍事路線が中国革命と革命戦争の実情と一致していたことを雄弁に立証した。戦役中に、毛沢東は周恩来の軍事指揮上の「支援者」から前敵司令部の政治委員に就任し、さらには党の三人軍事指揮チームのメンバーになった。実質だけでなく、名義上でも党と紅軍における指導的地位をさらに強固に確立した。
毛沢東の軍事指揮の芸術はより豊富に発展した
井岡山時期と中央蘇区時期に、根拠地を依拠にして作戦を指揮したのと異なり、四渡赤水作戦では根拠地を失って後方の依拠がなく、数倍、ひいては十数倍の国民党軍による包囲、追いかけ、ふさがり、とめるという討ち滅ぼすことに直面する厳しい形勢で行われるものだ。毛沢東の軍事指揮の芸術と戦略戦術をより豊富させ、発展させた。その際立った特徴は紅軍の徒歩が迅速で機動的な能力を発揮することだ。「走」と「打」が組み合わせ、「走」は敵を動かし、「打」の戦機を作る。「打」で敵を打破し、「走」の条件を整える。「走」と「打」と同時に、「変」と「詐」を補助とする。即ち、敵の変化に合わせて変化し、計略に長けている。毛沢東の指揮のもとで、紅軍は受動から能動に変わり、作戦の方向と作戦の地区を臨機応変に変化させ、数十万人の敵の間を迅速に往来し、戦機を自発的に作り出して探し出し、効果的に敵を殲滅したことによって、戦場の主動権を堅く掌握した。
四渡赤水は中国工農紅軍戦史において少ない兵力で多くの兵力に打ち勝ち、受動から能動に好転した典型的な戦例で、「毛主席用兵真如神」(毛主席の兵力動員はまさに神の如く)という表現を真に裏付けるもので、毛沢東本人も軍事生涯において「得意とする」と認識している。
(新華社より)
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