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「幸せな農民」になれる場所 貴州省の「七色の村」
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2018-07-24 11:10:13 | 新華社 | 編集: 王珊寧

  【新華社貴陽7月24日】貴州省湄潭県湄江街道の金花村は現在、「七彩部落」(七色の村)として知られる。展望台に立つと、「わたしは幸せな農民」と書かれた看板が茶畑に立っているのが見えた。

  きれいに整備された木の桟道を通って、金花村の「七彩部落」に入った。真っ白な雲の下に青々とした山が映える。生い茂った木々の間に七色の家々はあった。「七彩部落」の名に背かない美しい光景だ。

  金花村の若い党支部書記、馮燕青さんは「最初は仕方なくやった」と語る。数年前、近くの竜鳳村と核桃壩村はすでに発展を遂げていた。「同じ山に恵まれ、同じ茶業を営んでいるのに、隣村が発展できたのはなぜか。これは考え方の問題だと思った」

  怖いのは遅れていることではない。遅れに甘んじることだ。2015年以降、遅れに甘んじることをよしとしない金花村の村民らは一念発起し、茶葉と観光を結び付け、独自色のある農村観光の開発を決心した。

  「私たちの村は住宅の空き家率が高く、どの家も2階建てだが、部屋の7割が遊んでいる。それを利用しない手はない」と馮さんは語る。独自色を出すため、農民らは住宅を七色に飾り、七色のゲート、七色の傘飾り、七色の広場、七色の木造塔、七色の迷宮、七色の楽園、七色のアトリエなどを用意。人々を魅了する七彩部落はこうしてできた。

  「私たちの村の農民はただの農民ではない。株主であり、オーナーであり、俳優でもある」と馮さんは語る。村民らは資金を集めて株主となり、集団経済を発展させた。「誰もが株主で、どの家にも配当金が出る」。多くの農民が旅館や茶の工場を設け、オーナーになった。観光客を引き寄せるため、村民らは夜には歌や踊りを披露し、村のムードを一層にぎやかにしている。

  茶の産地は観光スポットになり、茶畑は公園に変わり、茶の山は「金の山」になった。馮さんによると、2015年以前には、現地の農民の1人当たり純収入は年間8200元(1元=約16円)余りにすぎなかった。ここ3年で、現地の産業は第1次産業を中心としたものから、第1次・第2次・第3次産業の融合したものへと変わり、一人当たりの純収入は年間3万元以上に急増した。出稼ぎに出かけた農民の多くもすでに戻っている。

  52歳の農民、徐学書さんが自宅で開いたミルクティーの喫茶店では、7、8人の観光客がおしゃべりを楽しんでいた。

  徐さんは9ムー(6000平方メートル)の茶畑を営んでいるが、生茶葉を売っているだけで、年間収入は4万元前後だった。「自宅の空き部屋を改造し、宿泊客受け入れのために11部屋を用意した。喫茶店の売り上げを加えれば、毎月1万元余りの収入を得られる」。徐さんの息子は農村楽団を組み、キャンプファイヤーや結婚式などで演奏している。

  喫茶店にやって来ていた遵義市民の曾小芬さんは「七彩部落」を訪れたのは今回が2回目だと語る。「ここは環境が良く、空気もすがすがしい。静かでのんびりした気分を味わい、くつろぐことができる」

  「湄潭県の中心部に住む人たちは今では皆、私たちをうらやんでいる」と徐さんは語る。「特に夏になると、ここは都市より居心地がはるかに良くなる。県中心部の高い住宅と私の住宅を交換しようと言われても断るだろう」

 

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「幸せな農民」になれる場所 貴州省の「七色の村」

新華網日本語 2018-07-24 11:10:13

  【新華社貴陽7月24日】貴州省湄潭県湄江街道の金花村は現在、「七彩部落」(七色の村)として知られる。展望台に立つと、「わたしは幸せな農民」と書かれた看板が茶畑に立っているのが見えた。

  きれいに整備された木の桟道を通って、金花村の「七彩部落」に入った。真っ白な雲の下に青々とした山が映える。生い茂った木々の間に七色の家々はあった。「七彩部落」の名に背かない美しい光景だ。

  金花村の若い党支部書記、馮燕青さんは「最初は仕方なくやった」と語る。数年前、近くの竜鳳村と核桃壩村はすでに発展を遂げていた。「同じ山に恵まれ、同じ茶業を営んでいるのに、隣村が発展できたのはなぜか。これは考え方の問題だと思った」

  怖いのは遅れていることではない。遅れに甘んじることだ。2015年以降、遅れに甘んじることをよしとしない金花村の村民らは一念発起し、茶葉と観光を結び付け、独自色のある農村観光の開発を決心した。

  「私たちの村は住宅の空き家率が高く、どの家も2階建てだが、部屋の7割が遊んでいる。それを利用しない手はない」と馮さんは語る。独自色を出すため、農民らは住宅を七色に飾り、七色のゲート、七色の傘飾り、七色の広場、七色の木造塔、七色の迷宮、七色の楽園、七色のアトリエなどを用意。人々を魅了する七彩部落はこうしてできた。

  「私たちの村の農民はただの農民ではない。株主であり、オーナーであり、俳優でもある」と馮さんは語る。村民らは資金を集めて株主となり、集団経済を発展させた。「誰もが株主で、どの家にも配当金が出る」。多くの農民が旅館や茶の工場を設け、オーナーになった。観光客を引き寄せるため、村民らは夜には歌や踊りを披露し、村のムードを一層にぎやかにしている。

  茶の産地は観光スポットになり、茶畑は公園に変わり、茶の山は「金の山」になった。馮さんによると、2015年以前には、現地の農民の1人当たり純収入は年間8200元(1元=約16円)余りにすぎなかった。ここ3年で、現地の産業は第1次産業を中心としたものから、第1次・第2次・第3次産業の融合したものへと変わり、一人当たりの純収入は年間3万元以上に急増した。出稼ぎに出かけた農民の多くもすでに戻っている。

  52歳の農民、徐学書さんが自宅で開いたミルクティーの喫茶店では、7、8人の観光客がおしゃべりを楽しんでいた。

  徐さんは9ムー(6000平方メートル)の茶畑を営んでいるが、生茶葉を売っているだけで、年間収入は4万元前後だった。「自宅の空き部屋を改造し、宿泊客受け入れのために11部屋を用意した。喫茶店の売り上げを加えれば、毎月1万元余りの収入を得られる」。徐さんの息子は農村楽団を組み、キャンプファイヤーや結婚式などで演奏している。

  喫茶店にやって来ていた遵義市民の曾小芬さんは「七彩部落」を訪れたのは今回が2回目だと語る。「ここは環境が良く、空気もすがすがしい。静かでのんびりした気分を味わい、くつろぐことができる」

  「湄潭県の中心部に住む人たちは今では皆、私たちをうらやんでいる」と徐さんは語る。「特に夏になると、ここは都市より居心地がはるかに良くなる。県中心部の高い住宅と私の住宅を交換しようと言われても断るだろう」

 

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