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南京に暮らす日本人たちの生き様
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2017-01-20 16:00:09 | 人民網日本語版 | 編集: 吴寒冰

兎澤さんが初めて南京に訪れたのは治療が目的で、その際は長期滞在するつもりは全くなかったのだという。兎澤さんは20歳のとき、アトピー性皮膚炎を患い、全身に白い小さな水疱ができてしまい、包帯を全身に巻いた様子はまさに「ミイラ」そのものだった。そんな兎澤さんは中医学に最後の希望を託していた。兎澤さんは雲南省、西蔵(チベット)自治区、内蒙古(モンゴル)自治区などに赴き、医師を探し、ほとんど全ての治療法を試したという。24年経った今でも病気は完治していないが、兎澤さんはすでに南京を離れない決心をし、多くの日本人にとって南京の「ガイド」役を務めている。

兎澤さんは自転車に乗って、南京を訪れた日本人を鼓楼近くの山西路によく連れて行く。片手でハンドルを握り、もう一方の手で道沿いにある小吃(軽食)を売る店を指差す。そして兎澤さんは広さ7平米しかない開業13年のお気に入りの貴州米粉(ビーフン)の店に日本人の友だちを連れて行くのだという。そのときには必ず「山西路の小吃の店はもう数えきれないほど入れ替わっているが、この貴州米粉の店はずっと前からあり、私が南京に来たときから味が変わらない」と日本人の友だちに紹介するのだということだ。

多くの日本人が南京という都市を知りたがっている。彼らは南京を訪れるとまずはかの有名な記念館に行くことから始める。多くの日本人が約1300キロ離れたところからわざわざやってきて、兎澤さんに「中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館に連れて行ってほしい」と頼むのだという。

それについて、兎澤さんは、「あそこは日本人の好奇心をくすぐる場所であり、多くの日本人が、中国人があの歴史についてどのように訴えているかを知りたいと考えている」としている。

過去10年間で、兎澤さんは毎年のように南京を訪れた人たちを連れて同記念館を案内している。そして最後には必ずその敷地内にある「平和の女神像」の前で一緒に記念撮影するという。

同記念館を訪れた外国人来場者の中で日本人は常にトップに立っている。いくつかの日本の民間組織は31年連続で同記念館を訪れ、犠牲者の追悼を行っている。彼らの大半は60-70歳の白髪をたくわえた高齢者で、その多くが戦争体験者だ。同記念館を訪れた日本人について、同記念館秘書の芦鵬さんは、「50-60歳の人はまだ『若い人』に入る。日本人の来場者の大多数が70-80歳だ」という印象だとした。それと比較すると、中国人の来場者の平均年齢はかなり若い。2016年、同記念館が来場者5500人を対象に行ったアンケートによると、中国人の来場者の平均年齢は28歳。30歳以下が全体の71%を占め、うち、73%が大学生もしくはそれ以上の学歴だった。

南京で生活して11年になる日本語教師は取材に対して、「中国と日本の一部の若者からすると、歴史と戦争は一本の細い川のようなもの。川を隔てても相手に呼びかけながら交流ができる。しかし、その水に浸かって歴史や戦争にこだわってしまえば、全員が歴史や戦争に縛り付けられるようになってしまう」と語った。



(人民網日本語版)

 

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南京に暮らす日本人たちの生き様

新華網日本語 2017-01-20 16:00:09

兎澤さんが初めて南京に訪れたのは治療が目的で、その際は長期滞在するつもりは全くなかったのだという。兎澤さんは20歳のとき、アトピー性皮膚炎を患い、全身に白い小さな水疱ができてしまい、包帯を全身に巻いた様子はまさに「ミイラ」そのものだった。そんな兎澤さんは中医学に最後の希望を託していた。兎澤さんは雲南省、西蔵(チベット)自治区、内蒙古(モンゴル)自治区などに赴き、医師を探し、ほとんど全ての治療法を試したという。24年経った今でも病気は完治していないが、兎澤さんはすでに南京を離れない決心をし、多くの日本人にとって南京の「ガイド」役を務めている。

兎澤さんは自転車に乗って、南京を訪れた日本人を鼓楼近くの山西路によく連れて行く。片手でハンドルを握り、もう一方の手で道沿いにある小吃(軽食)を売る店を指差す。そして兎澤さんは広さ7平米しかない開業13年のお気に入りの貴州米粉(ビーフン)の店に日本人の友だちを連れて行くのだという。そのときには必ず「山西路の小吃の店はもう数えきれないほど入れ替わっているが、この貴州米粉の店はずっと前からあり、私が南京に来たときから味が変わらない」と日本人の友だちに紹介するのだということだ。

多くの日本人が南京という都市を知りたがっている。彼らは南京を訪れるとまずはかの有名な記念館に行くことから始める。多くの日本人が約1300キロ離れたところからわざわざやってきて、兎澤さんに「中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館に連れて行ってほしい」と頼むのだという。

それについて、兎澤さんは、「あそこは日本人の好奇心をくすぐる場所であり、多くの日本人が、中国人があの歴史についてどのように訴えているかを知りたいと考えている」としている。

過去10年間で、兎澤さんは毎年のように南京を訪れた人たちを連れて同記念館を案内している。そして最後には必ずその敷地内にある「平和の女神像」の前で一緒に記念撮影するという。

同記念館を訪れた外国人来場者の中で日本人は常にトップに立っている。いくつかの日本の民間組織は31年連続で同記念館を訪れ、犠牲者の追悼を行っている。彼らの大半は60-70歳の白髪をたくわえた高齢者で、その多くが戦争体験者だ。同記念館を訪れた日本人について、同記念館秘書の芦鵬さんは、「50-60歳の人はまだ『若い人』に入る。日本人の来場者の大多数が70-80歳だ」という印象だとした。それと比較すると、中国人の来場者の平均年齢はかなり若い。2016年、同記念館が来場者5500人を対象に行ったアンケートによると、中国人の来場者の平均年齢は28歳。30歳以下が全体の71%を占め、うち、73%が大学生もしくはそれ以上の学歴だった。

南京で生活して11年になる日本語教師は取材に対して、「中国と日本の一部の若者からすると、歴史と戦争は一本の細い川のようなもの。川を隔てても相手に呼びかけながら交流ができる。しかし、その水に浸かって歴史や戦争にこだわってしまえば、全員が歴史や戦争に縛り付けられるようになってしまう」と語った。



(人民網日本語版)

 

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