68歳になる胡介国氏はこのほど、ナイジェリアで酋長になって15年目の記念日を迎えた。半袖シャツと黒縁メガネを身につけた、インテリ風の上品な老人の風貌は、顔一面にドーランを塗って頭に羽毛を指している神秘的な部族の酋長のイメージとは、どうしても重ならない。広州日報が伝えた。
アフリカに渡り40年間仕事に打ち込み、胡氏は数億にのぼる資産を蓄えただけではなく、中国・ナイジェリア両国の経済・文化交流のかけ橋としての役割を果たし、ナイジェリアで有名人となった。
胡氏とアフリカとの縁の始まりは、30数年前に遡る。胡氏は上海のインテリ家庭に生まれた。父親は、香港地区で紡績品関係の商売を行い、後にナイジェリアに渡った。1975年、父親は、当時上海で学校教師をしていた胡氏に手紙を送り、ナイジェリアに来て自分の商売を手伝ってほしいと申し出た。3年後、胡氏は不安な気持ちを抱えながら、ナイジェリアに渡った。
1997年、胡氏は独立を決意した。500万ドルを投じて、ラゴスに大型ホテル「金門ホテル」を開業した。わずか6階建てのホテルだったが、ナイジェリアでは最高級ホテルの一つで、ナイジェリア政府の高官が頻繁に訪れて食事をした。これにより、大統領をはじめ、外務相や文化相とも親しくなった。
アフリカでの40年近い生活を通じて、胡氏は、中国とナイジェリアとの間に類似点があることを発見した。それは、家庭と教育を重視することだった。
1999年、胡氏は、ナイジェリア政府が山岳地帯に学校を建設する計画があることを知った。胡氏は、小学校は子供にとって根幹となる教育を受ける場であるので、赤字を出してでも支援すべきだと考えた。建設予定地は、山深い熱帯雨林地帯だった。これに対し、「これほど湿気の多い土地にコンクリート製の校舎を建てることは難しい。基礎を十数メートル掘っても、まだ足りない。だが、さらに深く掘るには、より多くのコストがかかる」と胡氏は考えた。当初、政府が予定していた工期は1年だったが、胡氏と作業員らは超過勤務を続けた。現場で食事をとり、寝泊りし、わずか6ヶ月で4校を完成させた。この工事で、胡氏は2億ナイジェリア・ナイラ(約7500万円)の赤字を出した。しかし、その後は自分で建設プロジェクトを手配する必要はなくなり、代わりに政府が良質な建設プロジェクトを手配してくれるようになった。学校の投資建設のメリットは、人々の心をつかむことができる点だ。校舎が完成したのち、胡氏は、地元の人々が自分により好意的に接してくれることを実感した。「生徒たちは、中国人が学校を建てたことを知っている。中国人とアフリカ人の友好関係は、子々孫々伝わっていくだろう」と彼は話した。
2001年、その突出した貢献により、胡氏はナイジェリアの一部族の酋長に指名された。
(人民網日本語版)
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