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かつて活力に満ちた日本が「引きこもり」に向かっているのはなぜか
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-10-21 08:17:58 | チャイナネット | 編集: 吴寒冰

 仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上続けて自宅にひきこもっている状態――。日本厚生労働省は「引きこもり」をこう定義している。彼らはベテランの「オタク」である。日本政府の2016年の最新統計によると、15歳から39歳までの「引きこもり」は54万1千人にのぼる。日本人は近年、とりわけこの「引きこもり」で海外に名を馳せるようになっている。もちろんこの現象は日本だけにあるものではない。だが同じような統計からは、日本では「引きこもり」を生み出す強固な社会的な土台があることがうかがえる。問題は「家に引きこもっている」ことにはとどまらない。ここ十数年で、日本から海外への留学生の数は30%近くも減り、国外で仕事をしようという日本人も少なくなっている。本来であれば社会で最も活発であるべき「未来世代」が国内に「引きこもり」始めているということは、日本が「内向き」になりつつあることの直接的な表れと言える。一部の日本人学者は、国民が冒険を恐れ、世界へと飛び出すことを避けていては、国家の経済発展と研究能力の今後に期待することはできないとの懸念を示している。30年前の日本を振り返ると、社会のあらゆる層の人々が海外に興味を持ち、日本人は世界各地で走り回っていた。活力にあふれたあの頃の日本はなぜ、これほど内向きな国となってしまったのだろうか。

 中国社会科学院日本研究所の盧昊氏はこのほど、『環球時報』記者の取材に対し、戦後の日本社会の「精神状態」は、経済発展がたどってきた軌跡と切り離すことができないと指摘した。

 戦後初期の日本では、多くのものが破壊され、発展を欠いており、国家の精神は縮こまり、元気のない状態にあった。1960年代初めになって、日本経済は急速に成長し始め、長いこと抑えつけられていた民族の感情が解き放たれ始めた。1968年、日本はGDPで初めてドイツ連邦を超え、70年代には、資本主義世界の第二の経済大国としての地位を固めた。1964年の東京五輪と1970年の大阪万博は、日本経済の飛躍の契機となると同時に、国家に対する日本国民の誇りを大きく高めた。『読売新聞』に長期連載された「昭和時代」はこの時期を、喧騒と活力に満ちた時期として描いている。

 だが90年代初めにバブルが崩壊すると、日本は、低成長とデフレの悪循環に陥り、超富裕層以外の庶民の生活水準は急速に引き下がった。海外投資と消費の支出は削減を余儀なくされ、海外留学者数の増加率も90年代に大きく鈍化し、2004年以降は年々低下している。

 日本経済がなかなか回復しないのは、現在の内向的な傾向と大きく関係している。経済の活力を高めるには時間が必要だが、日本の政府と大学はすでに、内向的で閉じられた状況の改善をはかるための措置を取り始めている。日本政府は2014年、留学生の人数を当時の6万人から2020年までに12万人に増やし、財政予算を20億円増額する新たな計画を打ち出した。一部の大学も、海外留学の積極的な促進に乗り出している。例えば一橋大学は、留学を2018年から必修科目とし、留学しなければ卒業できないようにすることを計画している。

 だが客観的な環境よりも解決が難しいのが、主観的な要素だ。盧昊氏によると、日本人の自信の欠如という危機的状況は、非常にやっかいな問題となっている。米紙『ニューヨーク・タイムズ』によると、バブル経済崩壊まで、日本は、「活力と野心に満ち、そのプライドは傲慢の域にまで達していた」。だが現在、かつての壮大な志は消え去り、未来への恐れと疲労とがこれに代わっている。「かつてあれほど貪欲だった日本のメーカーは今、韓国と中国のライバルに降参しようとしている。かつてマンハッタンやパリに飛び、豪華な買い物の旅を楽しんでいた日本人は、今ではむしろ家に閉じこもり、未来のために貯金をしたがっている」

 また一部の学者は、長期にわたる西洋化のプロセスを経ながらも、「島国文化」の日本では、保守的な思想が依然として根深いと指摘する。作家の森村誠一は、単一民族の国家の国民が、多民族の国家へと突然乗り込んでも、すぐに負けてしまうだろうと語る。日本は外国と海によって隔てられている。「日本には、異なる文化や異なる人種への適応性がない。外国人に対しては、複雑な態度でこれを観察し、いつもびくびくしているほかない。外国人が日本に来た時と同様に、日本人は、海外に行って外国人と深く接する時にも、ヒステリーと狂躁状態に陥る。言葉の通じないことも、このような状況をさらに深刻にしている」

 だが盧昊氏によると、日本社会に出現している内向きの傾向は、民族の性格と日本の国力、国際社会におけるその地位の変化にかかわるものと言える。「内向きであるということは、意気消沈して自暴自棄になることを意味してはいない。むしろ自らに対し、特に自国のアイデンティティと重要な利益に対し、より大きな注意を払うということだ」。盧昊氏によると、デフレによる「失われた20年」に苦しんだ日本は今、民間の資本や技術、ソフトパワーの蓄積を進めると同時に、政治や安全保障における自らの戦略の自主性をより重んじるようになっている。

 

(チャイナネット)

 

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新華網日本語

かつて活力に満ちた日本が「引きこもり」に向かっているのはなぜか

新華網日本語 2016-10-21 08:17:58

 仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上続けて自宅にひきこもっている状態――。日本厚生労働省は「引きこもり」をこう定義している。彼らはベテランの「オタク」である。日本政府の2016年の最新統計によると、15歳から39歳までの「引きこもり」は54万1千人にのぼる。日本人は近年、とりわけこの「引きこもり」で海外に名を馳せるようになっている。もちろんこの現象は日本だけにあるものではない。だが同じような統計からは、日本では「引きこもり」を生み出す強固な社会的な土台があることがうかがえる。問題は「家に引きこもっている」ことにはとどまらない。ここ十数年で、日本から海外への留学生の数は30%近くも減り、国外で仕事をしようという日本人も少なくなっている。本来であれば社会で最も活発であるべき「未来世代」が国内に「引きこもり」始めているということは、日本が「内向き」になりつつあることの直接的な表れと言える。一部の日本人学者は、国民が冒険を恐れ、世界へと飛び出すことを避けていては、国家の経済発展と研究能力の今後に期待することはできないとの懸念を示している。30年前の日本を振り返ると、社会のあらゆる層の人々が海外に興味を持ち、日本人は世界各地で走り回っていた。活力にあふれたあの頃の日本はなぜ、これほど内向きな国となってしまったのだろうか。

 中国社会科学院日本研究所の盧昊氏はこのほど、『環球時報』記者の取材に対し、戦後の日本社会の「精神状態」は、経済発展がたどってきた軌跡と切り離すことができないと指摘した。

 戦後初期の日本では、多くのものが破壊され、発展を欠いており、国家の精神は縮こまり、元気のない状態にあった。1960年代初めになって、日本経済は急速に成長し始め、長いこと抑えつけられていた民族の感情が解き放たれ始めた。1968年、日本はGDPで初めてドイツ連邦を超え、70年代には、資本主義世界の第二の経済大国としての地位を固めた。1964年の東京五輪と1970年の大阪万博は、日本経済の飛躍の契機となると同時に、国家に対する日本国民の誇りを大きく高めた。『読売新聞』に長期連載された「昭和時代」はこの時期を、喧騒と活力に満ちた時期として描いている。

 だが90年代初めにバブルが崩壊すると、日本は、低成長とデフレの悪循環に陥り、超富裕層以外の庶民の生活水準は急速に引き下がった。海外投資と消費の支出は削減を余儀なくされ、海外留学者数の増加率も90年代に大きく鈍化し、2004年以降は年々低下している。

 日本経済がなかなか回復しないのは、現在の内向的な傾向と大きく関係している。経済の活力を高めるには時間が必要だが、日本の政府と大学はすでに、内向的で閉じられた状況の改善をはかるための措置を取り始めている。日本政府は2014年、留学生の人数を当時の6万人から2020年までに12万人に増やし、財政予算を20億円増額する新たな計画を打ち出した。一部の大学も、海外留学の積極的な促進に乗り出している。例えば一橋大学は、留学を2018年から必修科目とし、留学しなければ卒業できないようにすることを計画している。

 だが客観的な環境よりも解決が難しいのが、主観的な要素だ。盧昊氏によると、日本人の自信の欠如という危機的状況は、非常にやっかいな問題となっている。米紙『ニューヨーク・タイムズ』によると、バブル経済崩壊まで、日本は、「活力と野心に満ち、そのプライドは傲慢の域にまで達していた」。だが現在、かつての壮大な志は消え去り、未来への恐れと疲労とがこれに代わっている。「かつてあれほど貪欲だった日本のメーカーは今、韓国と中国のライバルに降参しようとしている。かつてマンハッタンやパリに飛び、豪華な買い物の旅を楽しんでいた日本人は、今ではむしろ家に閉じこもり、未来のために貯金をしたがっている」

 また一部の学者は、長期にわたる西洋化のプロセスを経ながらも、「島国文化」の日本では、保守的な思想が依然として根深いと指摘する。作家の森村誠一は、単一民族の国家の国民が、多民族の国家へと突然乗り込んでも、すぐに負けてしまうだろうと語る。日本は外国と海によって隔てられている。「日本には、異なる文化や異なる人種への適応性がない。外国人に対しては、複雑な態度でこれを観察し、いつもびくびくしているほかない。外国人が日本に来た時と同様に、日本人は、海外に行って外国人と深く接する時にも、ヒステリーと狂躁状態に陥る。言葉の通じないことも、このような状況をさらに深刻にしている」

 だが盧昊氏によると、日本社会に出現している内向きの傾向は、民族の性格と日本の国力、国際社会におけるその地位の変化にかかわるものと言える。「内向きであるということは、意気消沈して自暴自棄になることを意味してはいない。むしろ自らに対し、特に自国のアイデンティティと重要な利益に対し、より大きな注意を払うということだ」。盧昊氏によると、デフレによる「失われた20年」に苦しんだ日本は今、民間の資本や技術、ソフトパワーの蓄積を進めると同時に、政治や安全保障における自らの戦略の自主性をより重んじるようになっている。

 

(チャイナネット)

 

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