新華網貴陽8月12日 (記者/汪軍、胡星) 1935年1月7日、紅軍長征の途中で遵義を占領した。主力部隊の遵義での休息を確保するため、紅軍は北に退散した敵軍を追撃し、娄山関を争奪し、戦闘で全勝した。紅軍は遵義会議の開催に向けて重要な貢献を果たした。遵義会議は中国共産党の歴史において生死存亡にかかわる転機となり、遵義も歴史的転換地となった。
新しい歴史的時期に、貴州省「ビックデータ」戦略の主導のもとで、遵義は産業のモデル転換に取り組み、「ビックデータ」産業は早急に壁を突破した。遵義市発展改革委員会の汪先明主任は「第12次五カ年規画」期間に遵義のGDPの年平均成長率は15%に達し、2015年の経済総量は2,168億元に達したと説明した。
記者が遵義新蒲新区で取材を行った際に、貴州の財富の舟スマートターミナル産業パークは活気に溢れていた。産業パークの責任者、漆静氏の紹介によると、同企業グループの製品は主に携帯電話とポータブル式スマート家具などの製品をカバーし、業務は60余りの国と地域に及んでいる。
遵義は近年、「紅色文化」の背景を頼りに、観光産業を深層から推進している。1935年2月、中国工農紅軍は「二渡赤水」(赤水を二度渡る)で遵義に進軍し、有名な娄山関戦役を発動した。桐梓県九壩鎮山堡村にある娄山関戦役指揮所の8つの小屋は現存している。
紅軍長征の途中で「土城戦役」と呼ばれる重要な戦役が遵義市習水県土城鎮で発生した。80年前に残された戦闘の傷跡が今もあり、「紅色文化」を背景に発展した観光産業はますます繁栄している。2012年、習水に土城紅色文化観光刷新区が設置された。現時点で8つのプロジェクトが完了し、投資総額は5億元を超える。
まさに毛沢東氏が「雄关漫道真如鉄、而今邁歩从頭越(険しい関所の緩やかな傾斜が鉄のように綿々と続き、今、一番前から越えていく)」と描写したように、新しい歴史の起点に立ち、遵義は新しい歴史的転換期に直面している。
(新華社より)
推薦記事: