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(長征勝利80周年·歴史コードの謎を解く)遵義会議が偉大な転機とされる理由
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-08-12 11:41:52 | 新華網 | 編集: 王珊寧

 

 新華網北京8月12日(きしゃ馬衛防、楊茹、娄思佳)1943年、張聞天氏は整風日記で「遵義会議は我が党の歴史において方向転換を決定付けた意義がある。遵義会議がなければ、紅軍は李徳氏、博古氏の指導のもとで打ち散らされ、党中央の指導及び大勢の幹部が重大な損失を被っただろう。遵義会議は緊急事態に党を救い、紅軍を救った。」と書き綴っている。これは体験者である重要人物の遵義会議のこの重大な歴史的出来事に対するありのままの評価だ。

 

 遵義会議の前に、党内軍内では「左」傾派の誤りの危害に対する認識が日増しに明確化していった

 遵義会議の開催を前に、中央紅軍は前後して5回目の「包囲討伐」への抵抗の失敗と長征初期の一連の失策を体験した。特に湘江戦役の後、紅軍の幅広い戦闘員の「左」傾派の誤りに対する不満と疑念が頂点に達した。このため、「左」傾派の誤りを支持した一部の党と紅軍の高級幹部は、毛沢東を代表とする正しい軍事路線を再認識し始めた。

 

 遵義会議で毛沢東の正しい主張は多数の出席者の支持を得た

 1月15日から17日にかけて、中国共産党中央政治局は遵義で拡大会議を開いた。今回の会議は永久に史書に記載される。会議の中心的議題は第5回「包囲討伐」への抵抗の失敗と長征初期の失敗から得た教訓の総括だった。会議で毛沢東氏は長い発言の中で、第5回「包囲討伐」への抵抗と長征初期における博古氏、李徳氏の軍事指揮の一連の誤りを体系的に分析し、中国革命戦争の戦略的技術的な問題と当面の取るべき軍事方針について具体的に説明した。

  王稼祥氏はその後の発言でも博古氏、李徳氏の誤りを厳しく批判し、毛沢東氏の正しい意見を支持した。周恩来氏、朱徳氏、劉少奇氏などの多数の会議出席者の発言でも博古氏の行った概要の報告に同意せず、毛沢東氏、張聞天氏、王稼祥氏の意見を支持した。

 

  遵義会議後、「新三人団」は軍事指揮の全権の責任を負う

  1月17日深夜、遵義会議が閉幕した。会議で次の4つの項目を決定した。第一に、毛沢東氏を選挙して、中国共産党中央政治局常務委員を担当させたこと。第二に、『遵義会議決議』の起草に張聞天を指名したこと。第三に、中国共産党中央政治局常務委員の業務分担を調整したこと。第四に、博古氏と李徳氏の軍事指揮権を取り消したこと。

  その後からすぐに、中央革命軍事委員会では前敵司令部を設置し、朱徳氏が司令員に就任し、毛沢東氏が政治委員に就任した。3月中旬、中国共産党中央政治局はさらに毛沢東氏、周恩来氏、王稼祥氏で構成される三人軍事指揮チーム(別称は「新三人団」)を設置し、軍事指揮の全権に責任を負うことを決定した。

 

  遵義会議は中国共産党の政治の方向性が成熟していたことを表わす

  遵義会議は中国共産党と紅軍の歴史上の大きな転機となった。

 中国革命で最も危険な事態が目の前に迫っていたときに、遵義会議で「左」傾派軍事の誤りと宗派主義組織の誤りを集中的に是正し、王明を代表とする「左」傾派の冒険主義に基づく中国共産党中央による4年間の統治が終了した。毛沢東氏は党中央と紅軍における指導的地位を確立したことで、党にマルクス主義の正しい軌道に再び戻させた。

  この会議は中国共産党が中国革命と革命戦争の重大問題を初めて独立して自発的に解決した。党の政治の方向性が成熟し、中国革命の重責を独立して請け負うことが完全に可能であることを表わしている。

 

(新華社より)

 

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新華網日本語 2016-08-12 11:41:52

 

 新華網北京8月12日(きしゃ馬衛防、楊茹、娄思佳)1943年、張聞天氏は整風日記で「遵義会議は我が党の歴史において方向転換を決定付けた意義がある。遵義会議がなければ、紅軍は李徳氏、博古氏の指導のもとで打ち散らされ、党中央の指導及び大勢の幹部が重大な損失を被っただろう。遵義会議は緊急事態に党を救い、紅軍を救った。」と書き綴っている。これは体験者である重要人物の遵義会議のこの重大な歴史的出来事に対するありのままの評価だ。

 

 遵義会議の前に、党内軍内では「左」傾派の誤りの危害に対する認識が日増しに明確化していった

 遵義会議の開催を前に、中央紅軍は前後して5回目の「包囲討伐」への抵抗の失敗と長征初期の一連の失策を体験した。特に湘江戦役の後、紅軍の幅広い戦闘員の「左」傾派の誤りに対する不満と疑念が頂点に達した。このため、「左」傾派の誤りを支持した一部の党と紅軍の高級幹部は、毛沢東を代表とする正しい軍事路線を再認識し始めた。

 

 遵義会議で毛沢東の正しい主張は多数の出席者の支持を得た

 1月15日から17日にかけて、中国共産党中央政治局は遵義で拡大会議を開いた。今回の会議は永久に史書に記載される。会議の中心的議題は第5回「包囲討伐」への抵抗の失敗と長征初期の失敗から得た教訓の総括だった。会議で毛沢東氏は長い発言の中で、第5回「包囲討伐」への抵抗と長征初期における博古氏、李徳氏の軍事指揮の一連の誤りを体系的に分析し、中国革命戦争の戦略的技術的な問題と当面の取るべき軍事方針について具体的に説明した。

  王稼祥氏はその後の発言でも博古氏、李徳氏の誤りを厳しく批判し、毛沢東氏の正しい意見を支持した。周恩来氏、朱徳氏、劉少奇氏などの多数の会議出席者の発言でも博古氏の行った概要の報告に同意せず、毛沢東氏、張聞天氏、王稼祥氏の意見を支持した。

 

  遵義会議後、「新三人団」は軍事指揮の全権の責任を負う

  1月17日深夜、遵義会議が閉幕した。会議で次の4つの項目を決定した。第一に、毛沢東氏を選挙して、中国共産党中央政治局常務委員を担当させたこと。第二に、『遵義会議決議』の起草に張聞天を指名したこと。第三に、中国共産党中央政治局常務委員の業務分担を調整したこと。第四に、博古氏と李徳氏の軍事指揮権を取り消したこと。

  その後からすぐに、中央革命軍事委員会では前敵司令部を設置し、朱徳氏が司令員に就任し、毛沢東氏が政治委員に就任した。3月中旬、中国共産党中央政治局はさらに毛沢東氏、周恩来氏、王稼祥氏で構成される三人軍事指揮チーム(別称は「新三人団」)を設置し、軍事指揮の全権に責任を負うことを決定した。

 

  遵義会議は中国共産党の政治の方向性が成熟していたことを表わす

  遵義会議は中国共産党と紅軍の歴史上の大きな転機となった。

 中国革命で最も危険な事態が目の前に迫っていたときに、遵義会議で「左」傾派軍事の誤りと宗派主義組織の誤りを集中的に是正し、王明を代表とする「左」傾派の冒険主義に基づく中国共産党中央による4年間の統治が終了した。毛沢東氏は党中央と紅軍における指導的地位を確立したことで、党にマルクス主義の正しい軌道に再び戻させた。

  この会議は中国共産党が中国革命と革命戦争の重大問題を初めて独立して自発的に解決した。党の政治の方向性が成熟し、中国革命の重責を独立して請け負うことが完全に可能であることを表わしている。

 

(新華社より)

 

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