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「迷影青年」とその後ろの文学
毕赣氏のような青年は中国で特別な称呼がある。それは「迷影青年」で、つまり映画が大好きな青年という意味だ。『路傍のピクニック』の成功は「迷影青年」が素人からプロの監督になる可能性を呈している。
いうまでもなく、毕赣氏と名監督の侯孝賢氏、タルコフスキー氏、アピチャートポン氏の関連が大きい。そのほかに、彼の後ろに深い文学の背景もみられる。
毕赣氏は自分の書いた詩を『路傍のピクニック』に差し入れた。その詩は主人公の貴州弁で朗読され、画面と一緒に奇妙な体験となった。例えば、以下のように
山は
山の影
犬は
進化に怠ける
夏
人の酵素は頑固だ
魂の酵素は蓮の花
「路傍のピクニック」という名前はタルコフスキー氏の『ストーカー』の原作小説と同じだ。もともとの名前は「不安の書」、これはポルトガルとの国宝詩人のフェルナンド・ペソアの同名だ。荡麦という架空の地名(監督によると将来、荡麦をめぐるシリーズの映画を製作する)からフアン・ルルフォの影が見られる。文学は毕赣氏の映画の原点である。
(作者/于壮)
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