(写真はネットより)
黒字とは一般的に収入が支出を上回って余剰が生じた状態、赤字とは逆に支出が収入を上回って超過した状態を指す。これは社会常識であり、会計原則でもあるが、何時の時代から始まったのか。
古代中国では、算数や会計学は非常に進んでいた。周王朝(一つの奴隷王朝)の時代において、朝廷は「司会」という官職を定め、財政を掌握させた。「司会」の意味は日本語の司会(モデレータ)と全然異なり、「司」とは官署、「会」とは「月計歳会」のことを指す。つまり、月々に小計し、年に一度集計することを会計という。しかし、その頃、マイナス或いは負数という概念が出てきたかどうか、まだはっきり分からない。
「九章算数」とは古代中国の算数書であり、著者は誰だか分からないが、前漢の学者に加筆され、後漢時代に発行されたことが間違いない。「九章算数」の中に、「計算の数字はプラスである場合赤字、マイナスである場合黒字で表示する」と書いてある。
紀元535年、西魏王朝の丞相(じょうしょう)の宇文泰(西魏王朝の実際支配者)は蘇綽(そしゃく)を助役に任命した。蘇綽は権力を掌握してから、勘定記入の法則を定め、収入を黒字、支出を赤字で表示するようになった。
蘇綽は宇文泰から信頼を得て、西魏王朝の実権派として、度支尚書(大蔵大臣に当たる)に出世した。ご本人がなくなってから、後継者は既存法則を遵守し、収入を黒字、支出を赤字で表示する勘定法則が今まで踏襲されている。ある意味で、蘇綽は1500年ほど前の人物でありながら、会計原則の創立者ともいえるだろう。
(作者/湯文傑 評論家兼経営コンサルタント)
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