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新華網北京2月23日 中国政府網の報道によると、李克強国務院総理は2月17日、国務院常務会議を主宰して開催し、2015年の「全国両会」(中国全国人民代表大会と中国人民政治協商会議全国委員会会議)で提起された建議・提案の処理作業に関する報告を聴き取った。会議では去年の両会以来、部門が打ち出した多くの政策では、いずれも代表委員の意見や建議が取り入れられてきたが、少数の部門ではそれらの処理がタイムリーでなく、処理の質が劣るといった問題も存在している。よって、会議では、各部門に厳しく責任をとり、時間を制限して処理を完了して処理の質を確保し、決して問いと答えがかみ合わないことのないよう求めると指摘された。
この行為は、両会という盛会が、十数日間にわたる張りつめた期間内だけに体現されるべきではなく、各レベル・各部門の政府が行政に取り組む年間の作業を貫くべきだ。会議で思う存分語り、いろいろ見事な意見と提案が次から次へと出したことだけを体現するべきではなく、「両会の声」をいかに堅実且つ効果的に現実の中で実行させ、社会の公衆がいかにそれを真に分かち合い、共有する福祉とさせるかについても体現するべきであると表明している。
ここ数年、全国の両会における参政権と政治議論の雰囲気はますます開放的になっており、民意がますます集まる意見の場にもなっている。ここでは、人々は中国経済・社会が運営される真実の状況を察知することができる。また、ここでは、利益のグループにおける各当事者の意見上の攻防や対決も日ごとに激しくなっている。ある人は、両会のわずか十数日から、一つの真実の中国を見ることができると語っている。更にはあるオブザーバーは、高度に濃縮された両会は、ほかならぬ中国社会のさまざまな方面を観察できる絶好の窓口であるとみなしている。
しかし、正に総理が痛烈に批判するように、確かに一部の部門による察知や行動が、民衆の切実な期待よりも明らかに立ち遅れていることは否定することができない。たとえば「引き伸ばしの言い訳(今やるべき事を残して後ですると言いながら 結局何もしないこと)」によって対応し、再三に催促されても、何もしないで、明らかに処理が可能な提案を延び延びにさせ、最後にそれをダメにさせてしまうようになる。どうして一部の提案・議案を「以前見たことがあるようだ」と思う人がいつもいるのか。理由はとても簡単で、それは正に部門の引き延ばしのお蔭によるのだ。「引き伸ばしの言い訳」により対応することで、本部門による引き受けやタイアップに帰すべき提案や議案を、さまざまな理由を探してもう一度他人に任せて処理させることを求めている。あるいは肝心な点を避けて空虚なことを論じ、問題解決を巡る具体的な措置や方法を真剣に検討することがなく、客観的な困難ばかりを強調し、提起された問題の実施及び解決に対して、誰からも関心をもたれていない。または、問いと答えがかみ合わず、見たところそのプロセスが厳密で、態度が親切そうだが、実際は依然として代表委員に申し分のない返答をすることができていない。
つまるところ、「実施する過程での機構と人員の抵抗」や「ラストワンマイル」が行き届いていないといった事情を打破したいと思うなら、「両会のすばらしい声」を政府に民意を取り入れさせ、人民の監督を受けさせる真の重要な方法とさせねばならず、そのポイントはやはり各クラス・各部門の実行力によると言えるだろう。そのためには一方では、政府はできるだけ早く機能を転換し、「自己改革」を実行して、今までの「引き延ばす」と「押し付ける」を改め、民意に親しく接してその感化を受け、政府の権威と信頼度を再構築せねばならない。
もう一方では、処理した結果の公開を法に基づいて着実に推進し、社会の監督を強化せねばならない。早くも2014年に、国務院弁公庁は通知を発表し、2017年から、各地区、各部門が公共の利益や公衆の権益、社会の関心事及び社会が幅広く知られる必要のある提案や議案に対して提案や議案の実行に対する回答文書を作り、原則的には全文が公開されるべきであることを明確にしている。まさに公開されるがゆえに、ようやく実情に即して監督することができるのだ。(胡印斌)
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