【新華社南寧4月10日】「やっと会えたね」。87歳の闕八妹は姉の闕七姐の手を握り、ほとんど忘れてしまった欽州方言でささやいた。
79年ぶりの再会を果たした姉妹だが、当時9人いた兄妹のうち、残ったのは姉妹2人だけだ。
中国を侵略した日本軍は1939年、中国広西チワン族自治区欽州市に侵攻した。戦乱により地主だった闕家は家族が離れ離れになった。当時、軍の士官だった父親は戦死、5人の息子たちはある者は戦争に参加し、ある者は行方知れずとなった。まだ8歳だった闕八妹は、家族と広東省に避難する途中で、湛江の住民に引き取られた。そのほかの3人の姉妹は地元の欽州に嫁いだ。
「故郷へ戻りたい」という願いは、ずっと闕八妹の心の奥底にしまわれていた。記憶が曖昧なうえ、通信や交通が不便なことなどもあり、家族は闕八妹のこの願いを叶えられそうもないと考えていた。しかし「ルーツ探し」の願望は闕八妹の心の中で年を追うごとに募っていった。
闕八妹は2018年春節(旧正月)の数日前、病気で入院し手術を受けた。この時、肉親や故郷への想いをたびたび口にする祖母の闕八妹を見た孫の黄光鵬(33)さんは交流サイト(SNS)を利用して肉親探しの助けを呼びかけることを決めた。
ネット上の見知らぬ人たちによる肉親探しのリレーが始まった。尋ね人に尽力する「QQ」のグループチャット「宝貝回家志願者広西群」(子ども探しボランティア広西省グループ)で、ボランティアたちはひとつひとつ手掛かりをたどっていった。
ボランティアたちは生き別れた家族を探すためさまざまな場所を尋ね、ついに欽州市郊外のある村に闕という苗字の家族があることを突き止めた。詳細な情報を照らし合わせた結果、闕八妹がこの地方の欽南区沙埠鎮大石古村の出身だと判明した。その後、彼女の異母姉、闕七姐の所在も明らかになった。
闕八妹は3月29日早朝、子や孫たちに付き添われ、広東省湛江雷州市韶美村の自宅を出発し、4時間あまりかけて欽州に到着した。
88歳の闕七姐は玄関先に腰掛けを出して待っていた。闕七姐の姿が見えると、闕八妹の目には涙があふれた。姉は腰掛けを支えに懸命に身を起こし、妹を抱きしめた。その晩、姉妹は1つの部屋で夜中まで語り合った。
日本軍の中国侵略で、一家は80年近くも離れ離れになった。再会を果たした時には、闕八妹の髪は白くなり、故郷の方言も忘れてしまっていた。
黄光鵬さんは「かつての肉親探しは、まるで海の底から針を探すようなものでした。インターネットが発達していなければ、あきらめるしかなかったでしょう」と感慨深げに語った。多方面の人々による肉親探しのリレーが闕家の「家系図」をつなぎ合わせた。この再会でともに80歳を超えた2人の老人は、長年抱えてきたひとつの思いを解決した。
あるボランティアは、この度の肉親探しのリレーに心を動かされ「新しい時代の平和な生活を大切にしなくてはいけない」と語った。
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