新華網ハルビン9月22日(記者/王建 楊思琪)このほど、89歳の日本人女性、山辺悠喜子さんが車いすに乗り、中国侵略日本軍731部隊罪証陳列館の各展示室を最後まで見学した。731部隊の真相を探るため、彼女は30年余りにわたって努力を重ねてきた。
山辺悠喜子さんは1941年、家族とともに中国にやって来た。4年後、彼女は東北民主連合軍に参加し、看護婦として東北民主連合軍と共に南へ向かい、中国のほぼ半分を転戦した。1953年に日本の家族のもとへ戻った後も、彼女は依然として中国への思いを抱えていた。
部隊にいた時、山辺さんはハルビンの近くに怪しい日本の部隊があると聞いた。「当時は分からなかった。怪しい部隊って何だろう?」1981年のある日、彼女は日本の新聞で731部隊のことを暴露した『悪魔の飽食』という本の紹介を目にした。それでも、彼女はやはり信じられなかった。「日本人はそこまで悪いだろうか?もしかして、731があの怪しい部隊なのだろうか?」
疑惑を解くため、還暦をすぎた彼女は再び「戦士」となり、731問題を研究するためにたった一人で中国にやってきて、罪証陳列館の初代館長である韓暁さんと知り合った。
「あなたの言っていることは本当なのですか?」731部隊が人体実験や細菌戦など人道に背く暴行を働いていたと韓暁さんが述べた時、彼女はいつもそう尋ねた。その後、彼女は韓暁さんについて、悪行の痕跡や幸いにも当時を生き延びた労働者を探し始めた。その足跡は、ハルビン市平房区の町や村の至るところ、さらには安達市、大連市などにまで及び、731部隊に関するあらゆる手がかりを探していた。
5年後、日本に戻った彼女は、「731部隊展全国実行委員会」を立ち上げた。1992年7月に新宿で初の展覧会を開催してから20年余りにわたり、彼女は日本の170カ所以上の場所で731部隊の悪行を暴露する展覧会を開催し、人体実験、細菌を詰めた陶器爆弾などの写真を日本の人々に展示してきた。
今や、731部隊跡地の第二保護区にある「謝罪と不戦和平の碑」という記念碑が多くの見学者をひきつけた。2011年7月9日、山辺さんなど日本民間友好人士の努力によって、ここで除幕式が行われた。
(新華社より)
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