現在、「愛」の特殊性を定義することがますます難しくなってきている。特に日本ドラマを見ているとそのように感じる。ドラマ「昼顔」が人気を博していたとき、中国人視聴者の日本のドラマに対する印象は「世界観、人生観、価値観に問題あり」、「許容範囲を越えた」という意見が相次いだ。 しかし、その後の「僕のヤバイ妻」、「不機嫌な果実」を観ていくと、これらのドラマはいずれも際立っていながら、似通った内容ではなく、ストーリー構成がしっかりしていて、独自の路線を貫いていることに次第に気付く。先日放送を終えたばかりの「賢者の愛」は官能的かつ洗練された内容の力作だ。(文:梁坤 北京青年報掲載)
年の差恋愛は常にラブストーリーにおいて熱く語られてきた内容であり、紫式部の「源氏物語」における光源氏の企みや、ウラジミール ナボコフの小説「ロリータ」における少女と変な中年男性といったように、いわゆる人々が「変態」とみなす恋愛を描いていくことで、ストーリーの特殊性が徐々に薄れ、今やラブストーリーにおける定番の一つとなっていった。17年前の日本ドラマ「魔女の条件」は女性教師の未知(演 松島菜々子)と男子生徒の光(演 滝沢秀明)の美しくも儚い恋愛を描き、多くの人を夢中にさせた。現在にいたるまで、年の差恋愛は視聴率アップにつながる要素であるが、作風はすでに大きく変化している。
WOWOWは有料民間放送局として、選りすぐった題材と良質な作品づくりに生き残りの道を賭けている。「賢者の愛」の制作チームからこの作品は準備を重ねたものであることがわかる。「賢者の愛」は、同じく若手イケメンと熟女の年の差恋愛を描いた映画「東京タワー」を手がけた源孝志氏が監督を務めている。また、同名原作の作者で同ドラマの脚本家の一人でもある山田詠美も性や人種など論議の多い話題を作品の中で描くことが得意だ。真由子を演じた中山美穂は多くの人にとって、映画「Love Letter」で演じた藤井樹役のイメージが濃いだろう。しかし今では初々しさや恥じらいは姿を消し、中年女性らしい色っぽさと自信に溢れた彼女の魅力は全く衰えていない。直巳を演じる竜星涼は中山美穂よりも23歳年下だが、二人はカップルとしての雰囲気を十分醸し出しており、刺激ある禁断の愛が視聴者を刺激して止まない。
「賢者の愛」は「自業自得」といったありきたりな言葉で定義するようなものではない。同作品は欲望管理を探求しており、欲望が未来の青写真を描く多彩な要素であり、自分の限度を超えるものだとしている。自分の持っている欲望にそのまま支配されてもいいし、その意志を変えてもいいわけである。これは自分がどう人生を過ごすかを選ぶだけにすぎない。しかし、最終的に自分の選択に責任を持ち、自分の動機が理にかなっているからといって、その責任が軽くなるものではないという点はどうしても変わらないのだ。
ここ数年、日本ドラマの現実世界を切り取る方法はますますシビアになりつつある。シビアになればなるほど、現実の生活に近づいているといえるだろう。ドラマはすでに私たちの本性を覆い隠すことができなくなっており、生活の細かな角度から私たち自身の内に潜んだどろどろした部分をはっきりと描き出しているのだ。
(人民網日本語版)
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