新華網北京4月19日(記者/尹如玉)モスクワ市の中心から80キロ離れた場所にスラヴィエノという小さな村がある。中国の読者でスラヴィエノ村を知る人は少ないだろう。だが、モスクワ郊外にある「鄧小平街」は聞いたことがあるかもしれない。
この「鄧小平街」はスラヴィエノ地区にある大きな通リの一つで、路面はアスファルトで舗装され、道は直線で幅広く、清潔で、両側に緑の樹々が生い茂っている。紅いレンガと赤い壁の1戸建ての邸宅が樹林の中にひっそりと建っている。
村の保衛を務めるセルゲイさんは我々がこの町を訪れるためにやってきたと知ると、すぐに興奮した様子でこの町を紹介した。セルゲイさんは中国の歴史を十分に理解し、鄧小平氏のことが非常に好きで、特に中国が改革開放から三十年余りに築き上げた偉大な成果に敬服していると語った。
セルゲイさんの話しによると、この通りは著名な眼科医のフョードロフ医師が存命中に建造されたもので、著名な科学院院士でもあったこの医師がこの通りを「鄧小平街」と名付けることを提案した。
この時、ニコラ・イバノビッチという名の老人が我々の目の前に歩いてきた。彼は生涯の半分以上をこの地で過ごし、この村の隅から隅までをよく知り、この街の名づけのプロセスを見届けてきたと話した。老人は会話の途中で、フョードロフ医師を何度も賞賛し、ロシアと中国の世々代々にわたる友好を幾度も称えた。
「鄧小平街」と名付けた由来は何ですか、という問いに、老人は次のように答えた。当時、この提案を聞いた村中の人々が賛成し、何も異議はなかったが、それは彼らが中国の改革開放を提唱したこの人物をとても尊敬し、中国が改革開放で得た成果を高く評価していたためだ。ロシア紙『インディペンデント』は先日、一面記事でロシアでの特別経済区の設立を報じた際に、中国の改革開放で成し遂げた成果についても特に提起していた。
取材の最後に、夕闇が深まり、「鄧小平街」に街灯が点灯し始めた頃に、老人は「北京に私たちの心からの挨拶をよろしくお伝え下さい。」と言い、親切に携帯電話番号を書き残した。
(新華社より)
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