1993年秋、日本人作家・井上晴樹氏は大連を訪れた。偶然露天本屋で見かけた「旅順大虐殺」という名の本が彼の目に留まり購入した。「黄土の丘に1万8千人が埋葬されている」。井上氏はこの書籍の背景研究を進めるにつれ、これが単なる小説ではなく、ある歴史の真相を綴ったものだということが分かったのだった。遼寧日報が伝えた。
早稲田大学文学部を卒業した井上氏は、歴史が好きで1894年の中日甲午戦争に関する知識も決して少なくなかったが、「旅順大虐殺」という事件は一度も耳にしたことがなかった。100年来、日本にこの事件の全貌を反映した書籍は存在せず、「今日の日本の教科書に載っていないばかりか、多くの歴史の先生ですらこの史実を知らない」と語る。
彼の心は揺れ動き、この一冊を手にしながら、この歴史を蘇らせたいという思いが込み上げた。
苦労に満ちた2年間の証拠探し
大連での旅は、井上氏の世界観を大きく変えた。日本に戻った彼は、「まるで何かに刺激されたかのように」、100年以上前の事件について2年間にわたって難しい調査と証拠探しを行った。
旅順大虐殺は「中国人と良識のある日本人の心の中に眠る歴史の記憶」であると井上氏は考える。残念なことに、日本の歴史学界では1980年以降にようやく研究が始まった事件だ。調査が進むにつれ、日本人の「旅順大虐殺」の「集団忘却」は日本当局の故意な隠蔽と事実歪曲によるものであったことが見えてきた。1894年8月1日、中日の相互宣戦布告2日目、内務省は甲午戦争に関する報道の規定として、各社報道前に原稿を指定の警察局に送付し、審査を経て発表を許可するとした。同時に、許可を得て軍に随行する日本人記者130人に対し、当時の最高統帥機関である大本営も「軍の規律」を通達、一部始終を監視する士官を派遣し、軍側が「有害な記者」と看做した場合、即刻国へ強制送還し、重い罰を下すとした。
しかし、かくも恐ろしい虐殺事件が世界を震撼させることはなかった。海外メディアに対し、当時の日本の陸奥宗光外相は大金を出して報道の買収措置を講じており、英ロイター、米「ワシントンポスト」といったメディアは日本軍に加担して宣伝し、旅順大虐殺の真相を全力で覆い隠したのだ。
こうした発見は、井上氏の「現地調査で得られた一次資料を基に、日本人に、そして世界に『旅順大虐殺』事件の真相を伝えなければ」という目標をより確固たるものにしていった。