報告書を受け取って、大多数の人が真っ先に探したいものが「村山談話」の4つのキーワード、即ち「侵略」、「植民地支配」、「反省」、「おわび」であると信じている。しかし、報告書に記載されていたのは前の3つの言葉で、「おわび」は記載されていなかった。
報告書は首相官邸で厳選されたメンバーによって構成されたものだが、安倍首相が談話で全ての提案をそのまま受け入れることを意味するのではない。38ページの報告書に比べ、「安倍談話」は薄っぺらな2枚の紙にすぎず、内容も多くは書ききれないだろう。
しかし、報告書はやはりいくつかの重要な手がかりを与えた。例えば、明らかにできるのは、安倍談話では「反省」という言葉が盛り込まれる見通しであることだ。安倍首相はこれまで歴史認識を巡る一連の姿勢において、日本の国会やテレビ番組であっても、今年4月のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)や米議会での演説であっても、いずれも「反省」を加えようとする気があった。
同様におおむね判断できるのは、「安倍談話」には「おわび」の言葉は盛り込まれないということだ。「反省」はあっても「おわび」がないのをいかに理解するのか。その答えは「おわび」にはおわびの対象を具体的に示す必要があるが、「反省」にはそれがいらないことにある。
しかし、おわびのない反省は空論の一言になる恐れがある。20年前、「村山談話」は正に「おわび」を明確に書き入れたからこそ、日本がなぜ反省したのかを世の人に表明することができ、また被害国の民衆もこれにより日本政府による反省の誠意の多寡や有無を推し量ることができたのだ。