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戦争責任を否定する日本、国際貢献を語る資格なし
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2015-06-15 11:14:30 | チャイナネット | 編集: 王珊寧

  第二次大戦の勝利の成果を守るため、まず戦争責任および是非の問題を明確にする必要がある。国際社会は戦後、ドイツのファシストと日本の軍国主義による戦争の罪を裁く、国際軍事裁判所を設置した。これは被告に対する判決と刑罰のためだけではなく、国際的な裁判を通じて独日の戦争指導者の戦争犯罪を系統的に調べ、政府が宣伝していた戦争の理論を信じて疑わなかった独日の国民に戦争の真相を理解させるためだった。特に裁判で提起された「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は、国際法の革命だ。その法理は戦後すでに普遍化しており、世界の政治および国際法の発展に大きな影響を及ぼした。

  第二次大戦の勝利の成果を守るためには、国際社会で平和を維持し、侵略を批判する効果的なメカニズムを形成する必要があった。これは国連、そして国連を中心とする国際秩序だ。現在の深く変化する国際情勢を前にして、圧倒的多数の国は次のことを意識している。協力とウィンウィンを軸とする新型国際関係を構築しなければ、さまざまな脅威と課題により良く対応し、人類の平和と発展を促進することができない。

  戦後初期のドイツは経済再建を重視し、ナチスの歴史の清算にあまり関心を寄せなかった。しかしドイツの司法界はナチスの戦犯の責任を追及し続けた。イスラエルやユダヤ人組織を始めとする外部の勢力による圧力、および若い世代による前の世代の戦争責任の追及により、ドイツ社会についに変化が生じた。ドイツの政治家は大所高所からものを見ることで、ドイツ人が自らの不幸な境遇を罪深きナチスの統治のせいにすることを願った。これは誠に見上げたことだ。政治家の態度はドイツ人の歴史への疑惑を解消し、世界の世論から賞賛され、ドイツの国際的なイメージに落ちた影を払拭した。

  戦後の日本社会の歴史認識も、曖昧な戦争責任から軍国主義の戦争の指導者の責任追及へ、戦争の被害の強調から戦争の加害への反省へという移り変わりを経た。村山富市元首相は戦後50年談話で、戦争への反省と謝意を表した。しかし残念なことに、それまでそのような態度を示した首相は一人もいなかった。その後の日本の政治家はあいまいな態度を取るか、もしくは公然と侵略戦争の責任を否定した。戦争責任を明確に反省する政治家が批判され、人身攻撃にあうことになった。戦後70年を控え、一部の政治家は村山談話の原則を意図的に薄れさせ、戦後日本の国際貢献とやらを強調している。日本の政治家のこれらの言行は、日本社会が戦争責任を正確に認識することを妨げている。日本が過去の戦争責任から逃れようとし、単純に「未来志向」するならば、第二次大戦の勝利の成果に完全にもとる。アジア諸国の人々からの理解と信頼を得られず、アジアに戻ることもできないだろう。(筆者:歩平 中国社会科学院近代史研究所研究員、中国抗日戦争史学会会長)

 

(チャイナネット)

 

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