新華網北京8月29日(記者/張暁雨)法制日報の記事によると、最近、安徽省衛星テレビのある番組で、一人の元人事部長のこのような率直な発言が紹介された。大企業が従業員を採用する際、往々にして総合能力が高く、実習経験が豊富な名門校の卒業生が重視される。履歴書を選別する際、「985プロジェクト(1998年5月に発表された先進レベル大学構築計画)」大学以外の学生の履歴書は直接ゴミ箱に捨てられる可能性があり、「一刀両断」に採用を拒否する企業さえあるという。番組放送後、一部の企業による「名門校のみ採用する」というこの暗黙のルールが、ネット上で様々な論争が引き起こされた。
現在、大学生の就職競争のストレスは言うまでもない事実である。名門校という環境の恩恵を受け、一部の有名校卒業生が普通の大学卒業生より好意的に見られるのは確かだ。こうした背景の下、一部企業の人事部門が名門校卒業生に注意を集中するなら、確かに効率を高め、求人や育成にかかるコストを節約することができる。この面から見れば、企業にとってこのような方法はコストパフォーマンスの高い方法だと言えるだろう。
しかし、企業、特に一部の影響力の大きな企業は、独立して存在する社会の個体であるだけではない。コスト削減や利益追及を非難することはできないが、決してそれが唯一の道であってはならない。自己利益を合理的に保障する以外にも、企業は積極的に社会的責任を担い、社会が重視する奮闘や向上などの価値観に関する柔軟性のある牽引機能を果たさなければならない。
企業の社会的責任は、社会への寄付など目に見える形での指標に現れるだけでなく、さらに多くの目に見えない形で体現されることを知っておかなければならない。社会の向上と改善を主導し、社会の公平性を維持し、力の及ぶ範囲で社会や大衆が人生のビジョンを実現する能力を高めることも、企業が社会的責任を担う点でのあるべき筋道だと言えよう。
実際のところ、現在国内外の多くの企業や機関の上層部のすべてが有名校の卒業生というわけではないが、それでもそれぞれの分野で計り知れない力を発揮している。一部の企業が「985」大学卒業生のみを採用していることには、就職差別の疑いがあるだけでなく、平凡な出身ながらも潜在能力の高い人物を拒絶し、その成長の可能性を摘み取っている可能性すらある。
効率と公平の最善の着地点を見出すのは、決して答えのない方程式を解くようなものではなく、利益の最大化の追求と企業による柔軟性のある牽引機能の発揮も決して矛盾するものではない。いかにこの微妙なバランスをとるかは、企業と社会が絶えず模索していかなければならない問題である。
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