実は老舗建設会社の令息
「君の名は。」が日本で封切られた際、日本のメディアが、新海監督は社長令息で、社長の座を放棄して、徹夜が日常茶飯事のアニメクリエーターになったと報じた。
実は、上映に合わせて、老舗建設会社・新津組のホームページに「君の名は。」の情報が掲載され、新海監督について、「弊社社長の息子」と紹介されていたのだ。新海監督はアニメクリエーターになった時、会社の名前の恩恵に預かることを望まず、「新海」と名乗るようになったという。
新海監督の本名は新津誠。父親の新津正勝さんは新津組の社長だ。同社は明治42年(1909年)創立で、日本では有名な建設会社だ。新海監督は元々、4代目として家業を継ぐための修行として、父親の紹介を受けた東京都内の住宅メーカーに勤める予定だった。しかし、新海監督はその期待に背き、大学4年の秋、「お父さんごめん。若いうちにしておきたい仕事があるから、紹介してくれた会社には行けない」と父親に電話で伝えたという。
新海監督は、実習していた建築会社の近くでゲーム会社・日本ファルコムのスタッフ募集広告を目にし、気持ちが大きく変わったという。そして、同社に入社し、最初の5年間、新海監督は普通のアニメクリエーターとして、毎日夜12時まで働き、終電で帰宅し、翌朝6時にまた起きて出勤するという生活を続けた。その頃、「こんな仕事をしていてどんな意味があるのだろう」とよく思っていたという新海監督。「誰も自分の努力を見てくれていないような気がしていたものの、自分の気持ちを誰かに伝えることもできなかった」という。