(写真はネットより)
この間、仕事で日本人の同僚といっしょに北京市内の展示会に出かけた。会場内ではマスコットキャラクターが朝からあちこち歩き回って、来場者と写真を撮ったり、握手したりして大活躍していた。
昼休みにはマスコットキャラクターが会場のはしっこにある椅子のところに来て座っていた。そして、体は着ぐるみのまま、頭の部分だけを外して隣の椅子に置いた。髪の毛はビショビショで、真っ赤になった若い男性の顔が現れた。この男性はペットボトルを開けて、水を一気にたくさん飲んだ。
日本人の同僚と私は近くのブースに並んで座って、その男性のことを見ながら話をした。
「あの方、すごい汗かいてるね」と私は言った。
「ほんとうですね。でも……」と彼女。
「でも?」
「彼はしてはいけないことをしちゃったよね。着ぐるみの中に人間がいると思わせてはいけないのに……」と彼女は寂しそうに言った。
彼女の話を不思議に思った。着ぐるみの中に人間が入っているのは、大人なら誰でも知っている常識のはずなのに、どうしてそのグッズを生き物のように見ているのだろう。
(写真はネットより)
一本のペットボトルを飲み干した若い男性は、着ぐるみの頭をかぶって仕事に戻った。彼の後ろ姿を見て、ふと日本の「くまモン」を思い出した。
くまモンは熊本県のPRマスコットキャラクターである。興味深いことに、いつも着ぐるみの姿であらわれる彼には、いろいろな人間の要素が付与され、リアルな人間のように日本社会に認められ、愛されているのである。
くまモンは誕生日、身長、体重、性格、好物、家族や友達などの詳しいプロフィールを持ち、実際に熊本県に住民登録され、役職に就いている。彼は日ごろ、さまざまなイベントに参加したり、マスコミに出演したりして、大きく活躍している。絶大な人気を集めている彼には、今年4月の熊本地震の直後、安否を気遣うメッセージが彼のフェイスブックとツイッターに殺到したほどだ。
くまモンと似たようなマスコットキャラクターが日本社会に多く存在していると思われる。だから、彼女は若い男性の行動に驚いたのではないか、と私は思った。
日本人のマスコットキャラクターへの感情移入の根本には、自然万物のあらゆるものに生命が宿っているという伝統的価値観がいきているのではないか。
自らの経験から言うと、数年前日本にいた時、日本人が食事をする前に必ず手を合わせお辞儀をしながら、「いただきます」と言う場面を見た。その言葉の意味が分からなくて、日本人に聞いた。それは、「食材の命を私の命にさせていただく」、「料理を作ってくれた人々の命を私の命にさせていただく」という自然、食材及び人々に感謝の気持ちを示すためだ、と教わった。
展示会は無事に終了した。会場を出た際に、そこにいたマスコットキャラクターに「シエシエ(謝謝、中国語の感謝の意味)」と同僚が手を振りながらにっこり笑った。
あらゆる物に生命が宿っている。みんなのおかげで私がここにいる。豊かな心で感謝の気持ちを持つことを忘れずにしよう。
(作者/王篠卉 職員)
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