【ロシアと日本の間のわだかまり】
忘れることのできない怨恨:日本と西側諸国が結束した対ロシア制裁
ウクライナで衝突が発生したことで、ワシントンとモスクワの関係は一度は氷点まで冷え込んだ。西側諸国は連携してロシアに対抗し始め、日本は米国のアジアにおける「使者」として制裁者の陣営に加わり、厳格な措置を講じた。この状況から日本とロシアの両国関係は急激に悪化し、プーチン大統領が当初、予定していた日本訪問もそのために延期された。
解けることができない「こま結び」:ロシアと日本の島争い
次のように分析するアナリストもいる。ロシア側が領土問題について日本側と協議を行うことを望んでいるとしても、安倍首相が希望する北方四島(ロシアでは南千島群島という)の奪還を実現できるとは意味していない。その原因は、ロシアと日本の双方の基本的立場が短期間で根本的に変化することは難しいためだ。
溶けない硬い氷:発展戦略で対立
ロシア帝国から、ピョートル1世は太平洋岸領域をロシアの重要な生命線の一つと捉えていた。18世紀初めにロシア人はカムチャツカ半島を占領し、1721年に千島群島北部と南部をロシアの領土とした。太平洋北西に進出し、対馬海峡を制圧した日本は終始、ロシアから潜在的な敵国とみなされてきた。明治維新によって帝国主義路線を歩んだ日本は、極東の利益拡大を戦略の出発点と位置付けたことから、その後の日ロ两国は極東の利害問題で摩擦が絶えなかった。 日露戦争にしても、第二次世界大戦のノモンハン事件にしても、両国の戦略における激しい対立を体現している。