【新華社鄭州8月24日】中国河南省鄭州市の大河村遺跡は、出土した彩陶に神秘的な星や太陽の図案が描かれていたことから「星空の下の村落」と呼ばれている。同遺跡でこのほど、広大な陶器工房区の遺構が初めて発見された。遺構では76基の陶窯跡が見つかり、5千年余り前の陶器制作と紋様の絵付けの技法の謎を解き明かす重要な手掛かりが得られた。
大河村遺跡博物館の胡継忠館長は「絢爛たる色彩と豊富な図案、絵付けの手法が高度に発達した大河村彩陶は、中国先史時代の彩陶文化のひとつの頂点。今回の陶器工房区の発見と以前に出土した色絵の鉱物顔料や多くの彩陶は、大河村遺跡が3300年の間絶えることなく製陶業を発達させてきたことを裏付けた」と語った。
新たに発見された陶窯は遺跡東部に集中的に分布しており、この場所が当時の陶器工房区だったとみられる。周辺からは廃棄された陶片が堆積して出来た灰坑226カ所が発見された。工房区の東側には1本の水路があり、製陶の水源となっていた。
76基の陶窯は竪穴窯と横穴窯の2種類に分類され、いずれも火室と煙道、燃焼室で構成されている。
竪穴窯の数はそれほど多くなく、窯の構造も不完全で、火室の火力は小さく、燃焼室内の焼成温度を完全に調節することはできなかったと思われる。焼成陶器の初級段階に属し、仰韶文化(ぎょうしょうぶんか、ヤンシャオぶんか、中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化)の初期の陶窯跡といえる。
横穴窯は技術的に成熟しており発見された数も多い。同遺跡の仰韶文化中期から後期にかけての主要な陶窯跡類型といえる。火室の容量が大きく、火力により焼成温度を調節でき、煙道が燃焼室のあらゆる部位まで伸びたことで、陶器の受ける熱が均等になり、歩留まり率も高まった。また、分散型燃焼室の面積も拡大され一度に焼成できる数が増加している。
大河村の祖先たちは5千年余り前に太陽と月、星の運行や変化を観察し、彩陶の上に太陽や月、日暈(にちうん)、彗星、星座などの紋様の図案を細やかに絵付けした。中国最古の天文学の実物資料(一次資料)であり、殷商時代の甲骨文に記載されたものより約2千年古い。
1964年に発見された大河村遺跡は、20世紀における中国の最も重要な考古学上の発見の一つとされる。遺跡は母系社会と父系氏族社会の繁栄、夏王朝から商(殷)王朝への変遷を経ており、仰韶文化や河南龍山文化、二里頭文化、商文化といった各文化層が堆積されていることから、中国の「重点文物(文化財)保護単位」に指定されている。(記者/桂娟)
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