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日本の「米軍捕虜の生体解剖」、最後の生き証人が惨劇を語る
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2016-11-03 11:26:26 | 新華網 | 編集: 吴寒冰

九州大学医学部歴史館。(資料写真、新華社記者 劉秀玲 2015年撮)

 新華網北京11月3日(陳立希)第二次世界大戦末期、日本の九州帝国大学(現九州大学)医学部は1945年に米軍捕虜に対し治療目的ではない「実験手術」が実施し、8人を死亡させた。当時、医科部の学生だった産婦人科の東野利夫医師も参加していた。現在、「九州大学による生体解剖」の最後の生き証人として、東野医師はこの体験を通じて戦争の「悲劇と愚かさ」を後世の人々に伝えることを希望している。

 当時、米軍のB—29爆撃機が日本の福岡上空で撃墜され、多数の米国人パイロットが捕虜になった。当時は合計何人の米国人パイロットが日本側の捕虜になったかという点が歴史的な謎になったが、このうち8人は九州大学医学部教授により、生体解剖を行ったことを確認できている。

 いわゆる医学実験のうち、多数の教授がこれらの米国人パイロットの体内に希釈した海水を注射し、肺葉及びその他の臓器を切開し、どのぐらい生存できるかを観察するとともに、「注意事項」と「要点」を学生に説明した。最終的に、8人の米国人パイロット全員が死亡した。

九州大学医学部歴史館内。(資料写真、新華社記者 劉秀玲 2015年撮)

 米国人パイロットの生体解剖に参加した一部の教授の回想によると、米軍捕虜は白衣を着た教授を見て、傷の治療を施す医師だと思い込み、ある米国人パイロットは看護婦に感謝の意すら表した。彼らは警戒心を抱くことなく、あがきもせず、自分が生体解剖されるとは夢にも見ていなかった。

 第二次世界大戦の終了後、連合軍は東京、横浜、マニラなどで裁判所を設置し、日本戦犯の裁判を行った。1948年3月11日、30人の日本人が生体解剖、人体内臓の違法切開、米軍捕虜の内臓の食用などの容疑で横浜の裁判所で裁かれた。

 長年にわたり、九州大学の生体解剖事件はベールに包まれ、公の場所でこの話題に触れられることはなかった。日本国内で多くの人がこれに不満を示し、歴史を直視すべきだという見解を持ち続けている。

東野利夫医師(環球網が共通社より引用した写真)

 真相を隠蔽したい者からの攻撃について、東野医師は断じて妥協しないと表明し、「人の病を治す立場にある医師が手術によって健康な人間を殺害した。戦争が平和を実現する手段になることはあり得ない。ただ惨劇と愚さが残るだけだ。」と述べた。

 

(新華社より)

 

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日本の「米軍捕虜の生体解剖」、最後の生き証人が惨劇を語る

新華網日本語 2016-11-03 11:26:26

九州大学医学部歴史館。(資料写真、新華社記者 劉秀玲 2015年撮)

 新華網北京11月3日(陳立希)第二次世界大戦末期、日本の九州帝国大学(現九州大学)医学部は1945年に米軍捕虜に対し治療目的ではない「実験手術」が実施し、8人を死亡させた。当時、医科部の学生だった産婦人科の東野利夫医師も参加していた。現在、「九州大学による生体解剖」の最後の生き証人として、東野医師はこの体験を通じて戦争の「悲劇と愚かさ」を後世の人々に伝えることを希望している。

 当時、米軍のB—29爆撃機が日本の福岡上空で撃墜され、多数の米国人パイロットが捕虜になった。当時は合計何人の米国人パイロットが日本側の捕虜になったかという点が歴史的な謎になったが、このうち8人は九州大学医学部教授により、生体解剖を行ったことを確認できている。

 いわゆる医学実験のうち、多数の教授がこれらの米国人パイロットの体内に希釈した海水を注射し、肺葉及びその他の臓器を切開し、どのぐらい生存できるかを観察するとともに、「注意事項」と「要点」を学生に説明した。最終的に、8人の米国人パイロット全員が死亡した。

九州大学医学部歴史館内。(資料写真、新華社記者 劉秀玲 2015年撮)

 米国人パイロットの生体解剖に参加した一部の教授の回想によると、米軍捕虜は白衣を着た教授を見て、傷の治療を施す医師だと思い込み、ある米国人パイロットは看護婦に感謝の意すら表した。彼らは警戒心を抱くことなく、あがきもせず、自分が生体解剖されるとは夢にも見ていなかった。

 第二次世界大戦の終了後、連合軍は東京、横浜、マニラなどで裁判所を設置し、日本戦犯の裁判を行った。1948年3月11日、30人の日本人が生体解剖、人体内臓の違法切開、米軍捕虜の内臓の食用などの容疑で横浜の裁判所で裁かれた。

 長年にわたり、九州大学の生体解剖事件はベールに包まれ、公の場所でこの話題に触れられることはなかった。日本国内で多くの人がこれに不満を示し、歴史を直視すべきだという見解を持ち続けている。

東野利夫医師(環球網が共通社より引用した写真)

 真相を隠蔽したい者からの攻撃について、東野医師は断じて妥協しないと表明し、「人の病を治す立場にある医師が手術によって健康な人間を殺害した。戦争が平和を実現する手段になることはあり得ない。ただ惨劇と愚さが残るだけだ。」と述べた。

 

(新華社より)

 

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