新華網天津9月14日(新華社記者/周潤健)また1年が過ぎ、中秋節を迎える。伝統的な祭日は民族の情感と文化の記憶であり、新しい風が吹いても旧俗は変わらない。私たちがマイクロブログを閲覧し、友人グループに記事を投稿し、微信の紅包を奪い合って中秋節を祝うとき、中秋の深遠な文化的内包を忘れてはいけない。
近年は日新月歩で進化するネットワークの新技術によって、人々の社交空間が広がり、友人間の関係も緊密になっている。微信とマイクロブログでメッセージを伝達すると同時に、伝統的な祭日と文化に現代的で娯楽性のあるリラックスした新しい特徴も添えられている。一方で、新技術がもたらす利便性を享受すると同時に、情感の交流を薄れさせてはならない。一家団欒のときに、心の交流の代わりに頭を下げて携帯電話画面を凝視しないようにしたい。
祭日の度に家族を思う気持ちがさらに強くなる。道が遠く、回りくねっていても、家に帰って団欒したい。これは春節、中秋節などの伝統的な祭日が持つ強い情感の吸引力と言える。
社会の発展と環境の変化によって、祭日の民俗文化がやや薄れ、一部の伝統的な祭日が「グルメ節」と「旅行ゴールデンウィーク」に変わったことは否定できない。しかし、時代がどのように変遷しても、科学技術がいかに進歩しても、伝統的な祭日の文化的内包は何時いかなるときでも失われることはない。なぜなら、それは中華民族の精神と情感及び文化的地位を体現しており、中華民族の凝集力と向心力の接着剤だからだ。
文化は水の如く、一旦源流が断ち切れると、伝統的祭日もその根源が失われる。伝統文化に対する共感と伝承は一人ひとりの中華の子孫の責任であり、中秋節のような伝統的な祭日をいかにして薪が尽きても火は伝わるようにし、文化的内包を放出していくのか。そのために我々すべてが身体を使って行動し、推進する必要があり、社会と関係部門が「互いに協力」することも求められる。伝統文化は継承しながら刷新する必要があり、伝統文化の新しい内包を絶えず発掘し、新しい媒体を探し出し、人々は文化の美しさをより多く堪能し、伝統的な楽しさを享受してはじめて、伝統的祭日の文化の精髄を伝承していくことができる。
(新華社より)
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