(写真ネットより)
中国語に出会ったのは2007年。以来、9年もの時間を中国語に費やしてきた。この時間は人によっては短いと思う人もいるだろう。しかし、一つのことを継続できなかった私が9年間も同じことを続けられたことはこれまでに中国語を除いて他にはなかった。それだけ中国語が私を魅了し、離さなかったということになる。では、何が私をそこまで中国語に没頭させたのだろう。思いつく理由は二つある。
一つは、通訳を目指してきたため、勉強を中断するわけにはいかなかった。通訳スキルは一度身に着ければ完成というものではなく、毎日様々な負荷のあるトレーニングを長年続けていかなければ、いざ現場に駆り出された時に脳も口も素早い反応をすることができない。通訳の仕事を獲得したい私にとって、日々のトレーニングは必要不可欠なものである。負荷のあるトレーニングをしんどいと思うこともあるが、これらのトレーニングをこなすことこそが、夢へのパスポートだと思うと、その過程も楽しむことができた。しかし、通訳者になるという夢だけであったら、ここまで中国語の勉強を継続できていたかはわからない。
二つ目の理由はこれ以上に私を中国語の世界に引き込んでくれた中国語の原書だ。原書に出会ったのは2010年。中国語を始めて3年経った頃だった。きっかけは友人の言葉だった。「中国語力を上げたいのならまず本を読みなさい。それも最低300冊読まないといけない」。300冊という数に衝撃を受けながらも、語学の勉強法に精通している友人が言うのなら間違いないと、早速原書を読み始めた。 300冊読み終わるのに一体何年かかるだろう?果たして読み終えられるのだろうか?こんな疑問も脳裏に浮かんできたが、中国語がもっとうまくなって早く通訳の仕事をしたいという気持ちがこれらの疑問をすぐに打ち消した。そのために原書の多読が必要ならば、やらない方法はない、というのが私の回答だった。
その後の6年間で読んだ原書は118冊。目標の300冊の3分の1をようやく超えた所である。100冊読めば自分の中国語に何か変化があるかもしれない、そう自分に言い聞かせて読書を続けてきたが、語学の神様はそう甘くはないようだ。100冊では目に見える変化はなかった。私の中国語は現在、"さまよえる中級”状態にあると思う。目に見える上達を実感できないにも関わらず、読書の楽しさは減退するどころか、1冊1冊と読む数が増えるについれて読書の営みは益々楽しいものになっていった。今では生きがいといっても語弊がないくらい生活の一部になっている。次回の記事では私のライフワークである中国語の原書会についてご紹介したいと思う。
(作者/佐藤あゆみ)
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