BBCはこのほど、「中国はサッカーを発明したか」という記事を発表した。主な内容は次の通り。
習近平氏が昨年10月にマンチェスターのエティハド・スタジアムを参観した際、サッカー中国起源説を唱え始めた人がいた。イングランドの国立サッカー博物館のKevin Moore館長もこれについて、「現代サッカーの発祥地はイングランドだが、我々も、サッカースポーツの起源が中国にあることはこれまでも認めている」と語る。
では中国がサッカーを発明したというのはどの程度の意味なのか。中国の古代サッカーとはいかなるものだったのか。
「球を蹴る」という意味の中国の遊び「蹴鞠」の歴史はすでに2000年を超える。宋朝に最盛期に入り、当時の都市文化における娯楽やスポーツ、暇つぶしの一角を占めていた。
当時の蹴鞠クラブにもすでに、マネージャーやトレーナー、キャプテンなどの役があった。ドイツの中国研究者のHans Ulrich Vogel 氏はかつて、蹴鞠がどのようなスポーツだったかがわかるハンドブックを作っている。
中国の皇帝でさえも球を蹴っていた。「宋太祖蹴鞠図」では、皇帝本人が、体格のいい大臣に囲まれてリフティングをしているような様子が描かれている。ベッカムがチャールズ皇太子と一緒に写っている写真と同じく、これらの大臣もサッカーのスターなのだろうか。
古代の中国では、試合に参加する2チームが違うユニフォームを着ることとなっていた。例えば赤が緑と対決するといった調子である。現在のキャプテンが腕章をつけるのと同様、当時のキャプテンは他のメンバーと異なるデコレーションの帽子をかぶっていた。
一方のチームのメンバーがまず相互に何度かリフティングし、それからキャプテンに伝えてゴールを完了する。ゴールの回数が最多のチームが勝ち、旗や美酒などの褒美を得る。プレミアリーグにもこんなルールがあったらおもしろいかもしれない。ネイマールとメッシが球を蹴っているのと比べれば、中国の蹴球はおとなしいと思うかもしれないが、儒家社会ではサッカーグラブでも仁や慈、謙譲などの美徳が不可欠だった。
ではサッカーは中国源と言えるだろうか。確かに中国には1000年前にはすでにクラブや規則、ファンがいた。だが1960年代の英国のシェフィールドが定義した近代サッカーとはかなり違う。中国版サッカーは今のところ「蹴鞠」と読んでおいた方がよさそうだ。
(チャイナネット)
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