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抗戦国の記憶:「中国のロバート・キャパ」方大曾氏を取材
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2015-12-09 13:28:00 | 新華網日本語 | 編集: 薛天依

   【新華社北京12月9日】方大曾氏は「七七事変(盧溝橋事件)」報道の第一人者で、中国の戦場カメラマンの先駆者だった。78年前に「盧溝橋事件」が勃発し、『大公報』の戦場記者だった方大曾氏は身ひとつで家を出て、戦火の中で連日にわたって抗日前線を取材し、そのときから行方がわからなくなった。しかし、彼の文章と撮影された写真は、後世の人々に貴重な民族の記憶を残した。

  方大曽と抗戦報道者に関する学術シンポジウムが先日北京で開催された。専門家は次のような見方を示している。方大曽氏はジャーナリストが国を思う気持ちや崇高な理想は命をかけて体験し、追い求め、命と引き換えにする価値があることを、自らの短い命と豊富な報道を用いて証明した。方大曽氏は命を火種として、職業精神とジャーナリストとしての最も高い原則を実現させた。

  1937年「七七事変」の勃発後、方大曽氏は盧溝橋の前線に一番先に赴いて写真を撮り、将兵を取材し、国内外を驚かせた「盧溝橋事件」を真っ先に報じた。特に著名な長編通信記 、『盧溝橋抗戦記』は、国内外のメディアに広く採用され、中国の抗日戦争の発端について世界に詳しく理解させた最初の情報となった。

  よって、方大曽氏は「七七事変」を報道した最初の人だと公認され、後代の人々に中国のロバート・キャパと称されている。

  復旦大学新聞学院の黄瑚副院長は次のような見方を示している。外敵が侵入し、民族が興亡する瀬戸際にあって、方大曽氏のレンズは始終労苦する大衆や抗戦戦場での勇敢な戦士に狙いを定め、中国の当時の社会様相や庶民の生活状況をリアルに記録した。歴史上の重要な時期を振り返ってようやく、ジャーナリストのヴァイタリティーを探し求めることができるのだ。方大曽氏を代表とする抗戦報道者を探し出すことに関する研究は、ニュースの歴史学において、重点的に掘り出す研究方向となるべきだ。

  (新華網日本語)

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抗戦国の記憶:「中国のロバート・キャパ」方大曾氏を取材

新華網日本語 2015-12-09 13:28:00

   【新華社北京12月9日】方大曾氏は「七七事変(盧溝橋事件)」報道の第一人者で、中国の戦場カメラマンの先駆者だった。78年前に「盧溝橋事件」が勃発し、『大公報』の戦場記者だった方大曾氏は身ひとつで家を出て、戦火の中で連日にわたって抗日前線を取材し、そのときから行方がわからなくなった。しかし、彼の文章と撮影された写真は、後世の人々に貴重な民族の記憶を残した。

  方大曽と抗戦報道者に関する学術シンポジウムが先日北京で開催された。専門家は次のような見方を示している。方大曽氏はジャーナリストが国を思う気持ちや崇高な理想は命をかけて体験し、追い求め、命と引き換えにする価値があることを、自らの短い命と豊富な報道を用いて証明した。方大曽氏は命を火種として、職業精神とジャーナリストとしての最も高い原則を実現させた。

  1937年「七七事変」の勃発後、方大曽氏は盧溝橋の前線に一番先に赴いて写真を撮り、将兵を取材し、国内外を驚かせた「盧溝橋事件」を真っ先に報じた。特に著名な長編通信記 、『盧溝橋抗戦記』は、国内外のメディアに広く採用され、中国の抗日戦争の発端について世界に詳しく理解させた最初の情報となった。

  よって、方大曽氏は「七七事変」を報道した最初の人だと公認され、後代の人々に中国のロバート・キャパと称されている。

  復旦大学新聞学院の黄瑚副院長は次のような見方を示している。外敵が侵入し、民族が興亡する瀬戸際にあって、方大曽氏のレンズは始終労苦する大衆や抗戦戦場での勇敢な戦士に狙いを定め、中国の当時の社会様相や庶民の生活状況をリアルに記録した。歴史上の重要な時期を振り返ってようやく、ジャーナリストのヴァイタリティーを探し求めることができるのだ。方大曽氏を代表とする抗戦報道者を探し出すことに関する研究は、ニュースの歴史学において、重点的に掘り出す研究方向となるべきだ。

  (新華網日本語)

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