【新華社杭州8月14日】「双峰挿雲」は中国浙江省杭州市の西湖十景のひとつだが、西湖湖畔の西側にそびえる「双峰」、北高峰と南高峰にはかつて、それぞれ塔が存在していた。11日から13日の日程で開かれた「2018杭州文史フォーラムおよび中国南宋史・南宋都城臨安国際学術シンポジウム」で杭州市文物考古研究所の唐俊傑所長は、南高峰塔遺跡の発掘の後に北高峰塔遺跡の調査も行う意向を示した。
杭州市文物考古研究所は2017年、南高峰塔遺跡の発掘調査を行い、塔の基礎や塔院(栄国寺)などの建築遺構を発見した。研究所はまた、浙江省古建築設計研究院と協力し南高峰塔の復元図を作成した。考古学者らは引き続き北高峰塔遺跡の調査も行うという。
唐氏は、考古学者がこの10年で南宋皇城と徳寿宮、臨安城(現在の杭州市)城壁と古城門、南宋御街、衙署(役所)遺跡、武学(武官養成施設)と宗学(皇族子弟の教育機関)、手工業遺物、居住生活施設、埋葬など多方面にわたる考古学調査を展開し、系統的な成果を収めたと語った。臨安城の東城壁の範囲が基本的に判明し、西南部分の城壁と北城壁遺跡でも新たな発見があったという。また、仁和県の政庁所在地や南宋宗学、南宋武学などの遺構を発掘したほか、西湖から臨安城へ水を送る複数の給水施設も発見した。
南宋臨安城の考古学研究は、徳寿宮遺跡の第四次発掘調査が現時点での重要項目のひとつとなっている。史料の記述によると、徳寿宮はもともと秦檜(南宋の宰相)の官邸で、後に高宗(南宋の初代皇帝)が退位した後「太上皇宮(退位した皇帝の居住場所)」とされ、また高宗の後継ぎ宋孝宗も退位後に徳寿宮に居住した。徳寿宮の規模と美しさはある意味、南宋皇城をもしのぐとされる。唐氏によれば、考古学者らは徳寿宮に作られたという「小西湖」の発掘に特に強い関心を示しているという。
今年は南宋が臨安府に行都(臨時の首都)を設けて880周年にあたる。フォーラムでは、海峡両岸(中国の大陸と台湾)と日本の学者100人以上が参加し、政治や経済、軍事、文化、宗教、社会など多岐にわたる南宋史のテーマを巡り深く議論を交わした。
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