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泥に埋もれて400年、北宋の都・開封の「州橋」が姿現わす
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2020-08-04 07:44:20 | 新華社 | 編集: 张一

7月27日、河南省開封市の州橋遺跡と周辺の汴河(べんが)遺跡で発掘作業を進める考古スタッフ。(鄭州=新華社記者/李安)

【新華社鄭州8月4日】中国河南省開封(かいほう)市で実施されている考古発掘調査で、北宋の都「東京開封府」を代表する建造物とされる「州橋」の遺構が姿を現した。当時の市井の賑わいを見つめ、その後数百年にわたり泥に埋もれていた古橋が、再び全容を現しつつある。

州橋遺跡は、同市の中山路と自由路の交差点から南約50メートルの地点にある。建造年代は唐の建中年間(780~783年)までさかのぼることができる。その後の五代十国、宋、金、元、明各時代を経て、明末の1642年に起きた黄河の氾濫で土砂に埋没した。1984年に偶然発見され、部分的な試掘調査が実施されている。

同遺跡では、河南省文物考古研究院と開封市文物考古研究所が2018年から合同で発掘調査を進めている。発掘調査は、北宋東京城の城内に引かれた大運河の造営方法や管理・運営システムなどを知る上で重要な意義を持ち、同城の都市構造の研究においても大きな価値があるという。(記者/桂娟、双瑞)

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新華網日本語

泥に埋もれて400年、北宋の都・開封の「州橋」が姿現わす

新華網日本語 2020-08-04 07:44:20

7月27日、河南省開封市の州橋遺跡と周辺の汴河(べんが)遺跡で発掘作業を進める考古スタッフ。(鄭州=新華社記者/李安)

【新華社鄭州8月4日】中国河南省開封(かいほう)市で実施されている考古発掘調査で、北宋の都「東京開封府」を代表する建造物とされる「州橋」の遺構が姿を現した。当時の市井の賑わいを見つめ、その後数百年にわたり泥に埋もれていた古橋が、再び全容を現しつつある。

州橋遺跡は、同市の中山路と自由路の交差点から南約50メートルの地点にある。建造年代は唐の建中年間(780~783年)までさかのぼることができる。その後の五代十国、宋、金、元、明各時代を経て、明末の1642年に起きた黄河の氾濫で土砂に埋没した。1984年に偶然発見され、部分的な試掘調査が実施されている。

同遺跡では、河南省文物考古研究院と開封市文物考古研究所が2018年から合同で発掘調査を進めている。発掘調査は、北宋東京城の城内に引かれた大運河の造営方法や管理・運営システムなどを知る上で重要な意義を持ち、同城の都市構造の研究においても大きな価値があるという。(記者/桂娟、双瑞)

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