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河北省隆堯県で唐代皇族の墓誌銘発見 李氏の出身地明らかに
jp.xinhuanet.com | 発表時間 2018-05-30 10:21:08 | 新華社 | 編集: 张一

発見された李宏墓誌銘。右は墓誌銘に被せる蓋「志蓋」。(新華社記者/曹国廠)

【新華社石家荘5月30日】中国河北省邢台市隆堯県でこのほど、唐代の皇族の墓誌銘がほぼ完全な状態で発見された。唐王朝皇帝の宗族、被葬者の生涯、郷土史の研究で比較的高い史料価値を持つ。

この石碑は1辺が47センチの正方形で、正面に楷書体で「唐故李府君墓誌銘並序」の文字が刻まれいる。また、墓誌銘に被せる蓋「志蓋」の上部には篆書で「大唐故李府君墓誌銘」と刻まれている。

墓誌によって被葬者の李宏が唐を興した李氏の先祖、宣皇帝・李熙と光皇帝・李天賜(いずれも唐王朝成立後に祖先に対し追贈した帝号。実在した皇帝ではない)の末裔で、唐の初代皇帝、高祖李淵から14代目の子孫であることが分かった。また、彼の原籍(祖先の出身地)が趙州昭慶、即ち現在の河北省隆堯県であることもはっきり記載されている。

同県の文化財専門家、黄俊里氏によると、李宏の官職は左武衛大将軍で、死後に左衛大将軍が追贈された。李宏の妻は唐の第十三代皇帝順宗(李誦、在位:805年)の二十三男、李績(欽王)の次女で、李淵から14代目子孫にあたる李宏が駙馬(皇女の婿)になるという、皇族間の婚姻が普通だった唐代の文化を表しているという。

黄氏はまた「李宏墓誌」に記載されている「其の先(祖先)趙州昭慶人也」が李氏の原籍が隆堯県であることを確実に証明していると指摘し、李氏の宗族および同県の郷土史研究に重要な意義を持つと述べた。

隆堯県は太古の時代、人類の重要な活動地域の一つであったとされ、中国の伝説の帝王、堯、舜、禹も同県一帯で活動していたといわれる。同県の県城(県庁所在地)から南に6キロには、唐の高祖李淵の高祖父に当たる宣皇帝の「建初陵」と曽祖父に当たる光皇帝の「啓運陵」がある。二つの陵墓は合わせて「大唐皇帝陵」と呼ばれており、国の重点文化財保護指定を受けている。(記者/曹国廠、張碩)

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河北省隆堯県で唐代皇族の墓誌銘発見 李氏の出身地明らかに

新華網日本語 2018-05-30 10:21:08

発見された李宏墓誌銘。右は墓誌銘に被せる蓋「志蓋」。(新華社記者/曹国廠)

【新華社石家荘5月30日】中国河北省邢台市隆堯県でこのほど、唐代の皇族の墓誌銘がほぼ完全な状態で発見された。唐王朝皇帝の宗族、被葬者の生涯、郷土史の研究で比較的高い史料価値を持つ。

この石碑は1辺が47センチの正方形で、正面に楷書体で「唐故李府君墓誌銘並序」の文字が刻まれいる。また、墓誌銘に被せる蓋「志蓋」の上部には篆書で「大唐故李府君墓誌銘」と刻まれている。

墓誌によって被葬者の李宏が唐を興した李氏の先祖、宣皇帝・李熙と光皇帝・李天賜(いずれも唐王朝成立後に祖先に対し追贈した帝号。実在した皇帝ではない)の末裔で、唐の初代皇帝、高祖李淵から14代目の子孫であることが分かった。また、彼の原籍(祖先の出身地)が趙州昭慶、即ち現在の河北省隆堯県であることもはっきり記載されている。

同県の文化財専門家、黄俊里氏によると、李宏の官職は左武衛大将軍で、死後に左衛大将軍が追贈された。李宏の妻は唐の第十三代皇帝順宗(李誦、在位:805年)の二十三男、李績(欽王)の次女で、李淵から14代目子孫にあたる李宏が駙馬(皇女の婿)になるという、皇族間の婚姻が普通だった唐代の文化を表しているという。

黄氏はまた「李宏墓誌」に記載されている「其の先(祖先)趙州昭慶人也」が李氏の原籍が隆堯県であることを確実に証明していると指摘し、李氏の宗族および同県の郷土史研究に重要な意義を持つと述べた。

隆堯県は太古の時代、人類の重要な活動地域の一つであったとされ、中国の伝説の帝王、堯、舜、禹も同県一帯で活動していたといわれる。同県の県城(県庁所在地)から南に6キロには、唐の高祖李淵の高祖父に当たる宣皇帝の「建初陵」と曽祖父に当たる光皇帝の「啓運陵」がある。二つの陵墓は合わせて「大唐皇帝陵」と呼ばれており、国の重点文化財保護指定を受けている。(記者/曹国廠、張碩)

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